ワイシャツにブリーフ姿で踊るシーンが話題の映画『卒業白書』(1983年)。ゴールデングローブ賞主演男優賞にノミネートされた(共同通信社)
生まれながらに恵まれた身体能力と華やかなオーラ
彼には類い稀なる身体能力が備わっていた。中島さんはこう話す。
「スポーツ万能で、高校時代はレスリング選手として将来を嘱望されていましたが、ひざのけがで断念。そのことがきっかけで演劇の世界へ進んだそうです。デビュー作である映画『エンドレス・ラブ』1981年)の出演シーンはわずか1分未満でしたが、同年に出演した映画『タップス』で映画関係者やファンに鮮烈な印象を残します。
この作品は、陸軍幼年士官学校が舞台で、当初トムの役は陸軍士官候補生Aのような、その他大勢のひとりに過ぎませんでした。ところが、監督を務めたハロルド・ベッカーはトムに大いなる可能性を感じたのでしょうね。デイヴィッドという名前のある役に格上げし、最初の登場シーンで彼をクローズアップし、インパクトを残したのです」
当時、試写を見た映画関係者やジャーナリストは、「トム・クルーズって何者?」とざわめいたという。
「『タップス』の取材の席で、インタビュアーのひとりが、トムのことをロニーと間違えて呼び、それに対して、『ぼくの名前はトム・クルーズと申します』と丁寧な言葉で訂正していたのを見て、誠実な人だなと感じました。
この会見で趣味について聞かれた彼は、『ランニング、フットボール、レスリング、高校時代には棒高跳びをしていた。スポーツが大好きだ』と話していたのを覚えています」
いわゆる運動神経のよさが、その後の彼のキャリアに、欠かせないものとなっていく。
「1983年には『オール・ザ・ライト・ムーブス』(邦題『トム・クルーズ/栄光の彼方に』)で、アメリカンフットボール選手を見事に演じていました。そのときも、『スポーツの腕は抜群で、笑顔も素敵』と評判になりました。
最初から、彼は人々に愛される要素をすべて持っていたんだと思います。だから、彼はなるべくしてスターになったのだと私は思っています」
中島さんは、これまでのすべての作品を見続けてきて、あることに気づいたという。
「デビュー当初から、彼はランニングが趣味と話していましたが、これまでに出演した50作品のうちの少なくとも40作品で、彼は走っています。
面白いのが、トムは自身の公式フェイスブックの自己紹介で、『俳優・プロデューサー。1981年から映画の中で走り続けています』と書いているところ。ユーモアのある人でもあるんです」
最初から幸運の女神は、トムに微笑みかけていたと中島さん。そして、運命的な作品との出会いにより、世界中にトム・クルーズの名前は広がっていった。
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2022年9月15日号
『トップガン マーヴェリック』は国内興行収入110億円超(c)2022 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved. 配給:東和ピクチャーズ
「共演した人はみな、トムを絶賛する」と中島さん。写真は1999年、映画『マグノリア』のインタビュー時に撮影
「同じ誕生日で、毎年トムから花束が届く」と言う戸田さん。今年はエルメスのスカーフが贈られた。写真は2001年頃に撮影



