「アニメって最初は全部ペーパーワークなんですよね。ずっと紙の上でものを作っていきます。最終的にその絵に声優さんが声を入れるのですが、それまでは頭の中のイメージだけで作っているんです。まさに、声優さんが絵に命を吹き込んだという最高の例がこの『タイムボカン』でした。
声が入ったことで、“あっ、このキャラクターはこういう人なんだな”と、絵を描いているわれわれも初めてわかる。それまでは、“三悪”は悪役なので、力を入れて描いていなかったのですが、彼らの声を聞いたら、キャラクターの個性やおもしろさがクローズアップされたのです。そのとき、笹川さんとぼくとで主人公より“三悪”を中心にしてストーリーを進めた方がおもしろいのではないかと話し合って、そこからこの作品の方向性が明確に決まったんです」(布川さん・以下同)
とはいえ、スケジュール的に、1話に声を入れたときにはすでに8話まで作画は進行していた。そのため、最初の8話までは人気が出なかったのだという。方向性を変えた途端、ブレークしたというわけだ。
「『タイムボカン』は、8話までと9話以降で趣が変わっているはずです。ぜひ見比べてみてください」
人材の育成にも大きな功績を残した
『タイムボカン』の成功で、アクションとギャグを融合させ、かつ“三悪”が必ず登場する作品がシリーズ化する。シリーズ2作目の『ヤッターマン』で、その人気は頂点を迎え、平均視聴率20.1%、最高視聴率28.4%(第11話)を記録した。
「『ヤッターマン』の放送が始まった1977年は『一発貫太くん』『風船少女テンプルちゃん』も手掛け、大忙しでした。しかし、タツノコプロの誇れる点は、名作を作れるだけでなく、お互いに刺激を与え合える人材が揃っていたことなんです」
当時同社に在籍していた社員には、キャラクターデザイナーの天野喜孝さんや、メカニックデザイナーの大河原邦男さんらがいた。
「高い技術を持った人たちがいたからこそ、作品にも脂がのっていたのでしょう。竜夫さんは絵を描く力だけでなく、人を見る目があったし、後ろ盾のない会社だからこそ、社員という“身内”をとても大切にしてくれていました。だから忙しくても毎日楽しかったんですよね。ぼくはいちばんいい時期にタツノコプロにいました」
タツノコプロで活躍していたスタッフはその後独立し、アニメ業界で躍進していく。タツノコプロはまさに、日本のアニメ業界を“作品と人”2つの礎で支えたのだ。
【プロフィール】
アニメ監督・笹川ひろしさん/タツノコプロ創立時から活躍し、1970〜1980年代のタツノコ作品にはほぼ携わっている。『タイムボカンシリーズ』では7作品すべての総監督を務める。現・タツノコプロ顧問。
アニメ演出家・布川ゆうじさん/1971年にタツノコプロの社員となり、1979年にアニメーション制作会社・スタジオぴえろ(現・ぴえろ)を設立。
取材・文/川辺美奈子
※女性セブン2022年9月29日・10月6日号