1982年、ライバル全日本プロレスのジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、400勝投手の金田正一(野球解説者)と談笑。猪木の死去で全員が故人となった(写真/木村盛綱)
1983年6月、第1回IWGP決勝でハルク・ホーガンのアックスボンバーを受け衝撃の失神KO。「事件」として一般ニュースで報じられた(写真/木村盛綱)
1990年12月、国会議員としてイラクに乗り込み、湾岸戦争のあおりでイラクの人質となっていた邦人解放の道筋をつける。帰国した成田空港で、日本人家族がアントニオ猪木を中心に歓喜の“ダーッ!”を繰り返した(写真/共同通信社)
1995年、北朝鮮・平壌におけるプロレス興行「平和の祝典」で盟友モハメド・アリとともに。2人の交流は2016年にアリが死去するまで続いた(写真/山本晧一)
2020年、デビュー60周年記念大会に登場し、かつての弟子が集結。長州力にロックされた武藤敬司に「闘魂注入」の洗礼を浴びせる(写真/山内猛)