羽生結弦は2020年、「幻想にしたくない、壁の先を見たい」と自分がスケーターである理由を語った。プロの芸術家でもある羽生結弦に引退はない。芸術家はその人生そのものが芸術たり得る。いずれ「歴史の人」なればこそ。
プロのフィギュアスケーターとして芸術家、表現者への道を歩む羽生結弦。これからアイスショーという総合芸術の中で、ファンとともに芸術の果てしない高みを目指す。もはや点数による相対評価に縛られることもない。ファンもまたそうだろう。例えば、持ち味も違えば互いにレジェンドであるヤグディンとプルシェンコを比べることに意味がないように、羽生結弦に他の誰かを持ち出して上げたり下げたりの行為もまた意味はない。そうしたアイスショーのステージにいま、羽生結弦は立とうとしている。そんな芸術家が日本にいる。私たちも同じ時代を生きている。
誰それとの比較ではなく、ただ羽生結弦の芸術が見たい。壁の先を見せて欲しい。アイスショー「プロローグ」――きっと氷上の芸術家、羽生結弦はそれを私たちに見せてくれる。
※敬称略
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。俳文学、短詩芸術における実作、評論も多数。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞ほか受賞。近作「おろしやの月」(「俳壇」11月号)、文芸評論「十七字への想い、新たに」(角川「俳句」9月号)、「左右から、上下の問題へ」(「俳句四季」11月号)など。フィギュアスケートは1988 カルガリーでカタリナ・ヴィットのフリー「カルメン」やエキシビション「Bad」に魅せられ、その後も1992アルベールビルのペトレンコ、1994リレハンメルのオクサナ・バイウル(復活のヴィットも)など、羽生結弦に到るまで男女問わず推し多数、というか基本全推し。