「テレビや新聞が嘘を言っている、という言説はネットを中心に20年も前から言われてきたことです。最近では、ネットはオールドメディアよりも真偽不明の情報ばかりで、情報収集にはある程度の知識と技術が必要だという冷静な分析も広がってきました。でも、そういった認識にまだたどり着けていない人もいる。両親は遅れてきた”自称情報強者”に思えてなりません」(牧瀬さん)
最近は、SNS上で盛り上がっているテーマについて当事者、たとえばひろゆき氏が出演してテレビやネット番組上で議論する様子を見せる、というSNS論争のエンタメ化が増えている。そこで放送または配信されているものが内容のある議論であればまだしも、罵声の応酬、冷笑に終始する場合も少なくなく、単なる「大騒ぎ」にしか見えない事もある。もし客観的な場所でそれを見聞きしたら、自分とは異なる世界の話だと感じやすいのだろうが、多くが個人でじっくり画面を見てしまう配信は、良くも悪くも身近なもの、自分に近いものだと思い込みやすいという面もあろう。その距離の近さから、たとえくだらない内容でも感化され、自身に関係の無い、もしくは非常に遠い話題であっても、身近に感じてしまう人が増えたのではないか、牧瀬さんはそう指摘する。
つい最近で言えば、安倍元首相が銃撃された直後も「安倍さんが亡くなり喪失感がすごい」「何もする気が起きない」といった声がSNS上に散見された。しかし、驚いたり落胆することはあっても、安倍氏はあくまで一政治家であって家族や親戚などではなく、直接の面識すらない人がほとんどだ。感受性が強く、地球の裏側の悲惨な出来事の様子を画面でみただけでも精神的なダメージを受けるという少ない例はあるかもしれないが、普段、そんな繊細さの片鱗もなかった自分の家族が、急に特定のことにだけ感情的になるのは、その発露の受け止めを要求される牧瀬さんのような立場からはとても不自然に見えるはずだ。だいたい、冷淡な言い方をすれば、知らなかったらそれで済む問題でもあるかもしれず、その人自身の生活にはほとんど何も影響が出ることはないのだ。
無論そういった問題について、全く関心を持たないのが良い、というわけではない。だが、必要以上に自分に近い事象だと捉えてしまい、思考のバランスが取れなくなったり、考え方が異なる他者に攻撃的になってしまったりするのは奇妙なことだ。情報が身近になり、地球の裏側で起きていることですら、無料で簡単に、しかもリアルタイムで知ることができる時代の弊害なのだろうか。
トイレットペーパー買いだめのきっかけ
情報過多でパニックになったり、頭の中で処理できず結果が偏ってしまうことは誰にでもある。そういうことを皆が承知していれば、混乱に人を巻き込んだり、巻き込まれたりということも減るのではないはずだ。誰でもSNSを操れるようになってからというもの、不用意な内容でも一時的な「ノリ」任せで、軽はずみに情報を発信したことによるトラブルは、枚挙にいとまがないほどである。
たとえば、新型コロナウイルスの感染拡大が日本で始まった当初、トイレットペーパーの買いだめに皆が走ったきっかけは、匿名の一般人による根拠がないツイートがきっかけだった。そのツイートをきっかけに、リアルでも根拠がない噂話を周囲に拡散した人が相次いだ結果、あらゆる店からトイレットペーパーが消えてしまった。1970年代の「オイルショック」時にもトイレットペーパーなどが店頭から消える騒動となったが、発端と拡散は主にリアルのクチコミでありそれが今、ネットに置き換わってしまっている。左右を標榜する知識人や文化人が発信する情報でさえ、よく読み込んでいくとソース(出展、根拠)が不確かだったり、ソースそのものがいわゆる「まとめサイト」だったりすることも、毎日のように、いや毎時間のように頻発している。
自分のような一市民が何かをちょっとつぶやいたり、写真をアップすることに影響力など何もないと考えるのは危険だ。ネットでの発信だけでなく、もちろんリアルでも誰かに何等かの影響を与える事の重大さを今一度考えるべきだろう。残念ながら現実は、自重しよう、落ち着いて話し合おうという意見は、お祭り騒ぎのような「議論」にかき消されているが、それでもやはり諦めずに、一息入れて落ち着くことを心がけたい。