脳裏によぎった59年前の「亡き夫の姿」
敬子が猪木と最後に話したのは、一カ月前の8月25日のことだ。
新型コロナウィルスの蔓延や、猪木の病状の進行もあって頻繁に会う機会は失われたが、ここ数年は月に一度、敬子から携帯電話を鳴らすようにしていた。この日もそうだった。
「元気?」
「いやあ、元気を売っていた俺が、売る元気もなくなってねえ」
「張り合いないのね」
「ムフフ」
「じゃあね。また、かけるからさ」
「はい、では」
これが最後の会話となった。
2日後、日本テレビの『24時間テレビ』に車椅子姿の猪木が出演した。「思ったより元気そうじゃん」と敬子は思った。2歳下の猪木は弟のようである。馬場は3歳上。その年齢差が、夫亡き後の今日までの関係性となった。静かに眠る“弟”の前で、神妙に手を合わせた敬子は心の中でこう祈った。
「猪木さん、主人に会ったら、くれぐれもよろしく伝えて下さい」
「あなた、猪木さんがそろそろお見えになる頃かと思いますけど、『アゴ、よく来たな』って迎えてやって下さいな」
敬子の脳裏に、59年前、同じように横たわる亡夫の姿が甦った。
(文中敬称略。以下次回、毎週金曜日配信予定)