「ここまで選手ファーストで考えてくれる監督はいない」と吉田選手(写真前列左から2人目。Getty Images)
どこまでも「選手ファースト」であることも大きい。2003年の現役引退後は指導者の道を歩み、2012年に古巣のサンフレッチェ広島の監督に就任した。当時から「森保カラー」が出ていたと話すのは、サッカー専門新聞『エルゴラッソ』記者の寺田弘幸さんだ。
「監督就任が決まったとき、森保さんは選手一人ひとりに電話して、『今年から監督になる森保です。一緒に頑張りましょう』と挨拶しました。そういうことをする監督は初めてなので驚きました。さらに選手たちに『苦しいことがあれば24時間いつでも連絡していいよ』と伝え、実際に悩みを相談されると2時間以上も耳を傾けていました」
監督として初めて指揮を執った2012年3月のJ1開幕戦の直前、目に涙を浮かべた森保監督が選手に語り始めた。
「森保さんは、『全員で頑張ってきたのにベンチ入りメンバーを18人に絞ることがつらい』と急に泣き出した。その涙を見たら、選ばれた選手も選ばれなかった選手も胸が熱くなり、“この監督のために団結して頑張ろう”という気になります。上から目線ではなく、同じ目線で語りかけるので選手から信頼されるのでしょう。森保さんは選手から『また泣いてる!』といじられてもいました(笑い)」(寺田さん)
ネットの批判は見ない
誰に対しても「丁寧で誠実」であることも大きな強みだ。広島でのコーチ時代、若手記者だった寺田さんは初対面の森保監督に名刺を渡し「よろしくお願いします」と挨拶した。すると森保監督は、「こちらこそよろしくお願いします」と深々と頭を下げて、クラブハウスに向かって走った。
「わざわざ自分の名刺を取りに戻り、若造のぼくに差し出したんです。手元に名刺がなくてもそのままにする関係者が多い中、森保さんは丁寧に接してくれました。どんな記者にも森保さんはどこまでも誠実です」(寺田さん)
その姿勢は私生活でも変わらない。森保監督の叔父の原田卓馬さんが語る。
「一(森保監督)は義理堅く、年に2回は掛川までお墓参りに来てくれます。いつも封筒にお金を入れて仏様の前に置いていき、親族たちの運転手も買って出る。自分は疲れているはずなのに、ずっと子供たちの話し相手にもなってくれるんです」
他方で、「妥協を許さない」厳しい顔を持つ。今大会を現地で取材しているノンフィクションライターの藤江直人さんが言う。
「広島の監督時代、当時チームの絶対的エースだった佐藤寿人選手を若手と交代させたときに、佐藤選手が『なんでオレが?』と激高しました。集団の和を乱すことを何より嫌う森保さんは、佐藤選手に2試合ベンチ外という懲罰を与えた。その前には2人で膝を突き合わせて話し合っていて、あと腐れなく解決しましたが、森保さんは『譲れないことは譲れない』との気持ちが強い」