殺意の有無なんて明確には言えない
樋口は響子や千枝子が本家や父〈健一〉からどう扱われ、また陰湿なイジメがあった事実も掴んでいた。が、記事にしようとすると誰もが否定し、〈口裏を合わせたわけではありません〉〈住人と気まずくなるのは困る〉〈結果としてそうなったんです〉と樋口は言う。何より響子の母親からきつく口止めされたのだと。
一方、響子のパートでは〈どうしてお前はなにもできないんだ〉〈馬鹿、低能〉と父親に叱られ続け、そんな自分を母が〈私の育て方が悪いんです〉と庇ってきたこと。その結果、〈馬鹿だったから、愛理を育てられず、栞ちゃんを殺してしまった〉こと。そんな彼女の哀しすぎる告白を、執行の瞬間が刻々と近づく中で読者は読むことになる。
「響子のパートは書くのが本当に辛くて、メンタルをだいぶ削られました。でも動機に関する『なぜ?』は内側からしか書き得ないし、本人もわからないことがあると思う。
例えば娘といる時に母親が携帯を延々弄っていたという話が、育児放棄にも愛娘を撮るための操作にも、見方1つで反転したりする。まして殺意の有無なんて明確な物言いは何一つできないというのが私の実感なんです。つまり殺意や悪意はなくても誰もが響子と似た立場に十分なり得ると。なんだかやりきれないですよね」
愛理の父親だった男が働かなくなり、響子が一時的に勤めたスナックのママの証言がいい。
〈なにが悪いわけでもないのに、うまくいかない人っているのよ〉〈殺したのは響ちゃんだけど、そう仕向けたのは身内とここの住人たちだよ〉
しかし、そのママですら〈こんなこと誰かの耳に入ったら、商売あがったりだ〉とこぼし、狭すぎる社会や世間の目が真実をみるみる歪めていくのである。
「響子も千枝子も〈幸せになりたかっただけ〉なのに、なぜそうならなかったのか。私自身、転校する度に『なんでそんなこと言うの?』『どうして?』と考えてきただけに、なぜこんな酷い事件や災害が起きるのか、答えはなくともやはり考えずにいられないんです」
その問いの続きと約束の意味について考えることは、読者1人1人に託された。
【プロフィール】
柚月裕子(ゆづき・ゆうこ)/1968年岩手県生まれ。21歳で結婚、子育てが落ち着いた頃から小説教室に通い始め、2007年「待ち人」で山新文学賞入選及び文芸年間賞天賞、08年『臨床真理』で第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。第15回大藪春彦賞受賞作『検事の本懐』を含む佐方貞人シリーズや、第69回日本推理作家協会賞作『孤狼の血』シリーズの他、『パレートの誤算』『慈雨』『盤上の向日葵』『ミカエルの鼓動』など著書多数。158cm、A型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2022年12月9日号