2009年、志村さんは故郷、東京・東村山市の飲食店に鶴瓶と共に訪れた。遺影はこの頃の写真だという
「志村さんは『お前はオレの身の回りの世話とか付き人の仕事はしているけど、芸人の仕事はまったくしていないよな。オレのそばにいてそれをまったくしないというのは、他のところに行ったらできると思っているかもしれないけど、今、この環境でやってないヤツは、絶対に他の所に行っても何もできないし、続かないぞ。やる奴はどの環境にいてもやるからな』と、目を見て言われました。
この言葉はずっと大事にしていますね。現場で仕事を与えていただいて、時には不条理なこともあったりしますが、その不条理を嘆いているよりも、諦めずに常にその時に出せるベストを尽くすことが大切だと。これからも志村さんがどんな人だったかというのは伝えていきたいですし、志村さんの仕事に対するスタンスは自分も継承していけたらなと思っています。志村さんの命日は、家で静かに祭壇にお酒を注いで偲びたいと思っています」
昭和、平成、令和と国民を笑わせ続けた志村さんは、多くの人々の思い出のなかで今も生き続けている。