師匠との一コマ(写真提供/乾き亭げそ太郎氏)
「上島さんやダチョウ倶楽部の方たちがいなかったら、僕はもうずっと前にこの世界からいなくなっていたんじゃないかと思います。
遅刻を嫌う志村さんでしたが、付き人時代に僕が大遅刻をしてしまい、収録終わりのファミレスで『お前、ナメてんのか!』『オレは“すみません”のマイナスからのスタートになるから遅刻が嫌なんだ』『なんで弟子のお前がやるんだ、調子乗ってんのか!』と深夜から朝方まで志村さんにお説教を受けたことがありました。その時にずっと一緒にいてくれたのが上島さんでした。楽しく飲むはずだったのに、志村さんのお説教が5時間続いてしまい、申し訳ない気持ちでした」
こうしたストイックな素顔を見せる一方で、志村さんは自身の“笑い”にも厳しかった。
「志村さんの“笑い”は、言葉や世代の壁を超える笑いだったと思います。常々、志村さんが話されていたのは、『オレは絶対に子ども向けにコントは作らない』という意外な言葉でした。なぜですか? と僕が聞くと、『子ども向けに作ると、子どもをバカにしていることになってしまう。大人向けに作って、大人が笑う姿を子供が見て笑うんだ』と。『カラスの勝手でしょ~』も、ドリフのネタ会議で偶然、外から子どもの替え歌が聞こえてきて、それを大人の志村さんがおもしろいと思ったからやろうと考えたそうです」
2022年6月に結婚したげそ太郎氏は、9月に一児の父となった。愛娘を見ると大切なふたりのことを思い出す。
「娘は志村さんと同じ寅年生まれです。そこで、上島さんの本名から龍の字をいただいて、優龍(ゆうり)と名付けました。エコー検査の段階で娘には腎臓が1つないことがわかり、寅と龍に見守られ、強く優しく育ってほしいという思いから、そのように名付けました。僕にとってすごく大切な人でしたので、その方から一文字もらったんだよと娘に伝えたくて、なにか形として残したかった。娘が大人になったときに、志村さんと上島さんの過去の映像を見てどう思うかわからないですけど(笑)。でも、抱っこだけでもしてほしかったですね……」
現在、タレント業のほかに舞台出演や講演会の依頼もあるというげそ太郎氏。志村さんの笑い対する姿勢や、付き人時代の失敗を語る中で、今でも大切にしている言葉があるという。それは、げそ太郎氏が付き人になって3年目。志村さん行きつけの麻布十番のそば店で、『お笑いの仕事をする時間がないので、付き人を辞めさせてください』と直談判した時だった。