全体の見取り図は作らず、連載1回ごとに、何かに出くわしたときに自分が感じたこと、考えたことを書くようにした。
「連載していた2年のあいだに起きた出来事を、『父親ではない』自分とひもづけ、重ね合わせるような感覚で書いていきましたね。連載期間中は特に、向こうからベビーカーを押したお母さんが歩いてきたときなどに、いつもとは少し違う感じ方、頭の働かせ方をしていたなあと思います」
連載はひとつのきっかけになったが、もともと、小さなひっかかりや違和感をずっと覚えていて、考え続けるタイプだという。
「ひとことで言うと『性格が悪い』ってことになるのかもしれませんね。テレビを見ていて、ワイドショーの女性コメンテーターのテロップに『二児の母として……』と書いてあったり、いい成績を残したスポーツ選手のプライベートを追いかけて、『今日はいつもと違う女性らしい格好です』と持ち上げていたりするのが気になります。子どもがいるいないを聞くような、メディアが『手癖』としてやってしまうことに、前から気持ち悪さを感じていました」
親・子・家族とは何か、結論めいたものは書かれていない。反復したり、ぐるぐる同じところを回ったりする武田さんの思考の道筋を追って、「である」「ではない」自分について考えてみるのが、この本の正しい読み方かもしれない。
「結論はこれだ、とたどりつくことはないだろうな、というのは書く前から自分でも思っていました。家族観やジェンダー観はこの5年ぐらいで急速に変わっていて、激流のただ中にあるテーマです。
この本も5年ぐらい後に読み返したら、『うわ、まだこんなこと言っていたのか』と思うかもしれない。38歳から40歳ぐらいの自分がこういうことを考えました、というものをパッケージにしたので読んでもらえたら、という感じですね」
あの政治家の目に留まるだけでも大成功だと思う
本を読むと、家族を取り巻く状況が思った以上に政治と結びついていることについても考えさせられる。若手の書き手としては珍しく、武田さんは政治についても積極的に発言してきた。
「こうあるべき、という家族観が、日本の社会の閉塞感を作り出しているところがあると思っています。本にも書きましたが2012年に自民党が憲法改正草案を提示したときに、『家族は、互いに助け合わなければならない』という文言をわざわざ入れました。きっと改正草案を作った人の頭の中にはちゃんとした家族像っていうものがあるんでしょう。片方の親しかいないとか、親と子が断絶しているとか、そんな家族の形は頭にないんだな、と思います。私たちが自由に選択できるはずの家族のあり方に政治が制限をかけようとしていることについては触れておきたいと思いました」