安部譲二の“素性”はバレていた?
しかし意外なことに「執行猶予中なのを隠して入社したなんて、絶対に作り話よ」と敬子は言った。「作家だから話を面白くしようとして、あえてそう言ってるに決まってる」とにべもない。どういうことか質すと、彼女は「これはもう時効かな」と前置きしながら、意外な事実を話してくれた。
「これは入社してしばらく経って、地上勤務の社員から、こそっと聞いたんだけど、この頃の日本航空って、就職にあたって社員の身辺はすべて調査していたの。家族のことはもちろん、三親等くらいまでの親類も全部。当然、当人の人間関係、学校の成績とかも全部よ。だから私も、小6のときに健康優良児に選ばれたこととか、高2のとき英語論文で優勝したことも全部知られてたと思う。びっくりしちゃった」
そして、こう付け加える。
「だから、ナオが渋谷のごろつきだったとか、執行猶予中だったとか、全部把握していたと思うのよ。絶対にそう。それをわかってて、日航は入社させたってこと。それだけ彼の実家が、会社にとって無視できないくらいの家柄だったはずなのよ。そう思う」
それを聞いて思い当たるふしがないわけでもなかった。安部譲二の実父、安部正夫が日本郵船の社員として世界各国に赴任していたことは、やはりエッセイやコラムなどで散見されるが、安部正夫はその後、日本郵政の重役に昇進したのち、神戸のオリエンタルホテルの社長に就任している。
もともと、安田財閥が抱えた海運会社「東洋汽船」が経営を握っていたオリエンタルホテルだが、戦後の財閥解体によって経営難に陥り、日本郵船の支援を仰ぐようになっていた。安部正夫の社長就任はその辺りの事情と無関係ではないのだろう。