ふたりの交際が明るみに出たのは2007年、藤本はモーニング娘。のリーダーに就任したばかりだった
コンビ揃って「天狗」だった時期
しかし、その一方でテレビでは『ミキティの名前を自分から出してはいけない』『むやみやたらに恋愛の話をしない』というルールを強いられていたそうで、バラエティでイジられても苦笑いをするしかなかったとか。そのストレスが原因なのかどうかはわかりませんが、当時の庄司さんって後輩に対しても威圧感があったといわれています。庄司さんはお酒が苦手なんですが、それでも後輩をご飯に誘って、断ることを許さなかった。後輩を引き連れる姿はさながら“ボス芸人”で、その頃、庄司さんから強制的に可愛がられていた後輩たちは、今も庄司さんに対して『最も怖い先輩』という思いが残っているようですね」(お笑いライター)
コンビ揃って“天狗時代”を迎えていた品川庄司。その頃はコンビ仲も最悪だったという。前出のお笑いライターが続ける。
「品川庄司は芸人としては面白いのに、バラエティ番組のレギュラーに恵まれなかった理由は、その“天狗ぶり”にあったといわれています。かんたんにいえばスタッフウケがよくなかったわけです(笑い)。だからか、コンビ仲も悪くなり解散寸前まで追い込まれていました。ふたりで解散するかどうかの最後の話し合いをしたとき、品川さんが『最後なんだからなんで思ってること言えよ』と切り出したら、『俺、ミキティと結婚する』と報告されて、『もう全てがどうでもよくなり庄司に腹が立たなくなった』と品川さんが後に明かしています(笑い)」
解散は免れ、庄司は晴れてミキティと結婚。これまでのストレスを発散するかのようにあの言葉を叫ぶようになった。そう「ミキティー!」だ。当時を知るテレビ局関係者が言う。
「結婚後の庄司さんは徐々に天狗から改心していき、禁じられていた“ミキティ話”も解禁。これまでのうっぷんを晴らすかのように『ミキティー!』と連呼するようになったら、それがウケたのです。何度も叫ぶうち、庄司さん自身は『このままでいいのかな?』と疑問に思い始めた時期もあったそうですが、鉄板ネタとしてウケるし、番組のディレクターからも求められるため、応じるしかなかった(笑い)」