森家は力士の「タニマチ」をしていた
しかし、信の思惑は不調に終わる。1962年のシーズンオフ、森徹は19歳の女性と結婚している。すでに意中の恋人がいたということだ。
本来なら、この縁談は消失するはずだが、そうはならない。改めて写真を見た信はとっさに閃いた。
「リキさんにいいんじゃないかしら」
日本プロレスのスケジュールを確認すると、翌日の巡業地が札幌であることがわかった。
「善は急げ」とばかりに、信はすぐさま札幌へ発った。この時代、東京から札幌に行くには列車と青函連絡船を乗り継いでいくしかない。まる1日かかったのではないか。
札幌駅に着くと、そのまま会場に直行した。力道山とは顔見知りどころの関係ではない。
戦前、中国大陸で手広く事業を手掛けていた森家は大勢の力士の面倒を見ていた、いわばタニマチで、力道山もその一人だった。付き合いは力道山が力士を廃業した戦後も続いた。力道山と森徹の対談記事がある。
記者 森さんと力さんの結びつきというのは随分昔からだそうですね。
森 みんな大学時代に知り合ったと思っているんですよ。だけど何年目になりますかね。
力道山 おまえハナ垂らしていたよ。
森 北京時代、まだ幼稚園に行っておったころ、毎日いっしょにおったからね。(中略)
力道山 僕だけじゃないよ。羽黒関とか戦争中はみんな世話になって、名寄関もみんな世話になってない人はいないよ。森のお母さんに。だけどそういう人はみんなお座敷に招ばれていったんで、僕なんかそうじゃないものね。(『ベースボール・マガジン』1959年2月号)