脱・超能力者宣言へ
全国各地で災害などの被害者の鎮魂を行う(撮影/有村勝郎氏)
超能力以外にも、ファミコンソフトの開発やロック歌手としてCDデビューを果たすなど、マルチに活動を展開。1990年には、冷戦末期の旧ソビエトでこんな稀有な経験もした。
「ある実業家の紹介で、ソビエトの宇宙開発の高官からスプーン曲げの実演を頼まれたんです。場所は完全な密室となる高官の専用機内でした。ソビエト製のスプーンは材質が悪い印象でしたが、なんとか実験は成功。その高官は目の前で曲げられたスプーンを見て『ハラショー!』と大興奮。上機嫌になり、最上級のコニャックをご馳走してくれました。当時のソビエトは軍事目的で超能力研究に注力していたと言われますが、身体を拘束されることもなかったので、ただの好奇心だったのだと思います」
だが、1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きると、日本では超能力やオカルトに対する風当たりが強くなり、清田氏自身もエスパーであり続けることに窮屈さを感じるようになったという。2003年には「脱・超能力者宣言」を行ない、エスパーとしての人生と決別した。
「大きな転機となったのは、2001年から2004年までのバリ島滞在でした。現地の女性が日常的に祈りを捧げている姿がまるでアートのように美しく、強い衝撃を受けたんです。この時の経験がきっかけで、祈りと踊りを融合し、自己と宇宙・自然との調和を計る『おのり』の道を探求する人生に舵を切りました」
自らを「イノリスト」と称する清田氏。古代インドなどで用いられた法具・金剛杵(ヴァジュラ)を両手に舞う「おのり」は独自に編み出したものだ。清田氏は、これまで東日本大震災の被災地や広島、長崎の被爆地など全国各地を回り、犠牲者の鎮魂と安寧の世を願い「おのり」を捧げ続けてきた。
「と言っても、俺は宗教家になるつもりはありません。以前『3億円出すから教祖にならないか』と宗教団体の創設を持ち掛けられたことがあるけど、組織には興味を持つことができなかった。
幸いなことに、親から受け継いだ賃貸マンションを経営しているので最低限の生活費と住むところには困らず、純粋に祈ることに集中できます。お布施で暮らすお坊さんのようなもんですよ」
現在はマンション経営(撮影/藤岡雅樹)
私生活では2度の離婚を経験。2006年には知人から大麻を譲り受けたとして大麻取締法違反容疑で逮捕され、スポーツ紙で「元スプーン曲げ少年、人生も曲げた」と報じられた。だが、還暦を迎えた現在は厄が落ちたかのように健康的な活動を続け、厳しい滝行やパワースポットの巡礼を繰り返す。波乱万丈の人生を歩む清田氏は、この先どこに向かうのだろうか。
「これからも『おのり』を続けて世界行脚したいし、若い人たちと組んでユーチューブなどでメッセージも発信していきたい。世間一般の常識で見れば『変わった奴』ですが、超能力者として叩き上げられたからこそ、こんなことができるのかもしれないね(笑)」
超能力少年からイノリストへ。超能力の重圧から解放された今も、清田氏は不思議な力を持ち続けているようだ。(取材・構成=池田道大)
【了。前編から読む】