──『ガッポリ建設』は1997年に結成されましたが、相方の室田さんも元噺家だったんですね。
落語家なのに、2人でコントしかやらなかった。それが結構ウケて、仕事も入るようになった。じゃあ名前があった方がいいなって話で、『ガッポリ建設』と。そうこうしているうちに、ガッポリの仕事の方が増えてきて、自然と落語界からフェードアウト。俺の師匠は「漫才やるなら、そっちで一生懸命やれ」って送り出してくれたけど、相棒の方は大変だったみたいよ。
──小堀さんは俳優として有名ドラマに出演していた過去もあったそうですが。
そんなに仕事があるわけじゃないから、路上パフォーマンスをしてたら、当時、宝生舞さんがいた事務所の社長に声をかけてもらって、なぜかモデル事務所に所属。それからは、ドラマや映画にも出させてもらった。セリフはひと言だけど、『ショムニ』(フジ系)のスタッフロールに『ガッポリ建設』の名前が出るわけだから宣伝になるよね。再現ドラマにもよく出たけど、下着泥棒役でパンティー掴んでるのを見て、そのときも母ちゃん泣いてたな(笑)。
──その後、『ワハハ本舗』へはどのような経緯で?
モデル事務所に所属していたときは、グラビアのイベントで司会などもして、そこそこ食えてた。ただ、相棒と「もっとお笑いの仕事がしてえな」って話になって、ワハハのオーディションへ。これが落語家のときと一緒で、みんな真面目で周りは全然すごくないんだよね。でもコツコツ努力して、ちゃんと芸で呼ばれるようになっていく。逆に、俺らは入った当初から今と同じぐらいペラペラしゃべるんだけど、その後ひとつも変わらない。当然、のちにバンバン抜かれていったよね。