ガイウス・ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』の1ページ目(GRANGER/時事通信フォト)
実はこの件について以前の拙筆『消えない「アジア人差別」に私たちはどう応じてゆけばよいのか』でご協力いただいた恩師の元大学教授に連絡したが「さすがに勘弁」と困惑されてしまった。あのときはサッカー選手のアントワヌ・グリーズマンとウスマヌ・デンベレのフランス語による日本人差別について内容だったが、フランス語で差別的な意味は言っていない、としたのもこのインフルエンサー氏だった。そのとき恩師は「間違いなく差別である」とその理由も含め語ってくれたが、今回は「さすがに勘弁」だった、以下理由。
「だって中学高校レベルの英語だよ。わからなければ辞書でも引いて単語の羅列で読んでもわかる話だよ、それだけの話だもの。その人、なんでそんなことしたのかね」
本稿はインフルエンサー氏をあげつらうのみ目的で書いたわけではない。むしろ「これはいい論破」「要因はやっぱり加害者」「腑に落ちるし、確かに頷ける」とインフルエンサー氏の引用を信じてしまった人々と、このインフルエンサー氏の引用を調べないままに記事を作ってしまった一部ネットメディアの問題のほうが根深いように思う。なぜなら裏取りとか、再調査とか大げさな話でない、単にリンク先にある「中学高校レベルの英語」である引用文を翻訳すれば、内容の相違のあることはわかるからだ。
〈Fere libenter homines id quod volunt credunt.〉
ほとんどの場合に人間は、自分の望むことを喜んで信じる。
ガイウス・ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』の一節である。
これは今回のインフルエンサー氏の件についても当てはまるように思う。ましてや今回のケース、肝心の一次資料である「ユタ州立大学の調査」が現状わからない。つまるところ出典が辿れない「現状、信用し難い引用」ということになる。大学のレポートでも引用方法と出典元の情報は何より大切と教わったはずだ。というか、もっとシンプルに
「インターネット、とくにSNSの発信はそのまま信じたりせずに確認しましょう」
ということだ。
