すでに私たちは福田村の「善良な村人」になっている
──自分自身が、福田村事件で正義感を発揮して虐殺に加担した「善良な村人」にならないためには、どうすればいいんでしょうか。
簡単ではないでしょうね。まわりに合わせてしまう村社会って、いたるところにある。ジャニーズ事務所の問題だって、みんな知ってたけど、半世紀を超えて結局何も言わなかった。ジャニーズに限らず、有力な事務所のタレントはスキャンダルをテレビが扱わないなんてことはずっとあるわけです。
木原官房副長官の事件もしかり。どこの業界でも似たような暗黙の掟はある。でも、ほとんどの人はそこで波風を立てるようなことはしない。そのほうが楽だからですよね。「水清ければ魚すまず」と言われるように人は環境に慣れると、たとえ悪習でも、その環境に馴致するんですね。
すでにボクたちは、いろんな場所で映画における「善良な村人」になっています。まずはそれを自覚して、あえてどんどん波風を立てる。空気を読まない。掟を守らない。おかしいと思ったらおかしいと声を上げることをしないと。
あとは、本を読んだり映画を観たりして、違った視点をたくさん持つこと、歴史を知ることも大事です。歴史は年代を覚えるためじゃない、人は必ず同じ失敗を繰り返す、歴史は失敗のカルテだから。自分たちが愚行する生き物であることを意識すること、だと思います。負の歴史こそ直視ししないと。
──昨今は「大きな力」にすり寄ることで、自分が強くなった気になっている人も多いように見受けられます。
映画の中にもありますが、「弱者がさらなる弱者を叩く」構図そのものです。若者のあいだでは自民党の支持率が高いんですが、それも「大きな力」にすり寄って強くなった気になりたいからかな。若者だけじゃなくて、すべての年代でその傾向はありそうですね。
あと日本だけでないですよ。6年前、公然と差別を吹聴するトランプ大統領を選挙を経て誕生させました。退任する最後には「選挙に不正があった」という流言飛語とQアノンの予言という陰謀論を信じた暴徒が、連邦議会を襲撃して多数の死傷者が出た事件があった。大事件ですよ。あれだって普通の人による普通の人への信じがたい凶行です。しかも全世界に生中継された。それでも今は誰も、もうなんとも思っていない。福田村事件とおなじ構図です。100年後の現在も同じことが行われている。
事件を「なかったこと」にしないためにボクたちはどう語るか
──誰もが常に周囲を伺って、自分のポジションを気にしたり、言いたいことを口にできなかったり、日本全体でどんどん“村社会化”が進んでいるように感じられます。
同じ政党がずっと政権を握っている弊害でしょうね。長期政権は腐ります。政治の世界が極度に村社会化して、その論理が社会の隅々までいきわたってしまう。かなり前からですけど、芸人もやりづらくなりました。政治ネタなんて、テレビではまずできない。世の中にちょっと意見を言うと激しく批判される。
ボクが国会議員になったのは、閉ざされた政治の村社会を覗きたかった。そして自分の見たものを伝える、政界に潜入したルポライターになりたかった。ただ、申し訳ないことに、病気を発症して、長く続けることができませんでした。有権者の皆さんには本当に申し訳なく思っています。すみません。話が映画からそれましたね。