第6話では鵜久森の「絶対に自分で自分の終わりを選ぶべきじゃない。絶対にそうすべきじゃない。だって生きてれば変わるときが絶対に来るから」「私は生きたい。死にたくない」というセリフがありました。さらに鵜久森は九条に「無自覚に人を傷つける世界を少しでも変えてほしい」という願いを託して2周目の人生を終了。「自死を選んだ人に2周目の人生があったとしても、運命を変えて生き続けられるわけではない」という展開を見せることで、自死の抑制につなげたかったのではないでしょうか。
それでも、「ドラマをながら見して、鵜久森のセリフもしっかり聞いていない」「第5話までで見るのをやめた」などの人々が、「○周目の人生」を表面的なところだけでとらえてしまうリスクがあるのも事実。誤解を与えかねないセンシティブな設定であることは間違いないでしょう。
虚実皮膜の世界を選んだ『VIVANT』
前述したタイムリープ、入れ替わり、憑依、超能力など定番設定のファンタジー作品を見たとき、「これは真剣にとらえなくてもいいんだな」という軽さを感じたことはないでしょうか。その点、『最高の教師』は、イジメ、自死、毒親などの重い描写が多いだけに、それをやわらげるために「タイムリープによる○周目の人生」という軽さを感じさせるファンタジーの定番設定が採用された感があります。
しかし、その「○周目の人生」というコンセプトはファンタジーである上に、「自死を選んだ人に3周目の人生はない」などの追加コンセプトもファンタジーであるなど、もはや何でもあり。「〇周目の人生」を生きる3人目、4人目が現れても、視聴者は受け入れるしかないという世界観が作られています。
これらは制作サイドにとって都合のいいものだけに、「ファンタジーの設定は使いたくない」というクリエイターは少なくありません。たとえば、陸上自衛隊の秘密情報部隊「別班」と日本を狙うテロ組織「テント」の戦いを描いた『VIVANT』(TBS系)は、まさに虚実皮膜の世界観。また、平凡な主婦が大女優になりすまして二重生活を送る姿を描いた『この素晴らしき世界』(フジテレビ系)も同様でしょう。どちらも「ありそうだけどない」「なさそうでありえるかも」と思わせる設定に留め、「ありえない」がベースのファンタジーを選びませんでした。
どちらにも長所と短所があり、好みは分かれるでしょうが、重要なのは、制作サイドが偏らずにエンタメとしての多様性を守っていくこと。だからこそ「流行っている」「親しみがある」からと言って、「〇周目の人生」というコンセプトは、しばらく選ばれないほうがいいのかもしれません。
【木村隆志】
コラムニスト、芸能・テレビ・ドラマ解説者。雑誌やウェブに月30本前後のコラムを提供するほか、『週刊フジテレビ批評』などの批評番組に出演し、番組への情報提供も行っている。タレント専門インタビュアーや人間関係コンサルタントとしても活動。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』『独身40男の歩き方』など。