実像になかなか触れられない稲垣吾郎という俳優
しかし、いざ舞台の幕が上がると、俳優・稲垣吾郎が顔を見せる。
稲垣の演じる純九郎は平凡な男だが、両親に対して複雑な感情を抱いている。父はカメラマンとしての使命感に燃えて家を飛び出し、彼と純九郎を重ねる母から「生涯かけて撮りたいものを見つけなさい」との言葉をかけられた。“町の写真館の2代目店主”となる未来はほとんど決まっているのに、理不尽な期待である。親からの無理解と無関心にさらされた彼は、幸福な家族に憧れ続けている。多重露光によって重ね合わせ、一枚の家族写真を生み出すように。
先ほどまで夢中になってカメラや写真の魅力を語っていた稲垣本人と純九郎がシンクロする。が、彼に茶目っ気はない。周囲からは「ドライで冷淡で無愛想」などと冗談混じりに言われ、「僕は何も手にしていない」などと自嘲してみせるような人間なのだ。感情の起伏は浅く、何を考えているのか掴めない。しかし観客だけが、彼が葛藤しながら日々を送っていることを知っている。ほかの登場人物との掛け合いにおいて、表面的には平然としているように見えるものの、その内面には確実に波紋が広がっているのだ。
稲垣の抑えた演技の中にはグラデーションがあり、私たち観客は120分間、彼のパフォーマンスをとおして純九郎の心の波紋を眺め続けることになる。これは「家族」にまつわる物語であり、人生の半ばでコンプレックスを乗り越え、真の自己実現を果たそうとする男の物語なのだ。
本作について稲垣は、「この『多重露光』という作品は僕が思うに、誰もが抱えている過去への想いみたいなものに優しく寄り添ってくれる物語を描いています。家族の大切さ、そして何よりも自分を愛することの大切さを感じてもらえる作品になっています」と述べている。
劇場で耳にしたこの発言の迷いのなさに、俳優として芝居を楽しむいっぽう、作品の持つテーマを正確に届けようとする彼の姿勢を感じた。ときと場合によっては自己を押し出さなければならないが、それ以上に伝えなければならない大切なものがあるときには覆い隠す。だから稲垣吾郎の実像にはなかなか触れることができないのだ。しかしこれこそが、稀代のエンターテイナーの姿なのではないだろうか。
取材・文/折田侑駿
プライベートでも自宅に暗室があるという稲垣。