ライフ

【書評】『アイヌ神謡集』における表記の変更は在野研究者へのアカデミズムの傲慢か

『知里幸惠 アイヌ神謡集』/中川裕・補訂

『知里幸惠 アイヌ神謡集』/中川裕・補訂

【書評】『知里幸惠 アイヌ神謡集』/中川裕・補訂/岩波文庫/792円
【評者】大塚英志(まんが原作者)

 本書は、岩波文庫の旧版・知里幸惠編訳『アイヌ神謡集』でなく中川裕補訂『知里幸惠 アイヌ神謡集』として「新刊」として同じ岩波文庫から刊行された。

 底本である『アイヌ神謡集』は大正十二年、柳田國男が刊行主旨を書いた民俗誌のシリーズ「炉辺叢習」の一冊として刊行され、そちらは表紙には「知里幸惠編」、奥付には「著作者 知里幸惠」と記されている。

 つまり底本及び旧版で「編」「著」「訳」として表記されていた知里幸惠の名が書名に組み込まれ、替わりに表紙・奥付に彼女の名のあった欄には「補訂」として中川裕の名のみが表記されるに至った。これについては刊行直後からいくつか疑問がオンライン上で指摘されている。そのいきさつは同書でこう説明される。

 まず、編集部から口承文芸を文字文芸と同じ「著」で表せるのかと疑義が出て、補訂者の中川もそれに同意した。結果、岩波文庫『ホメロスイリアス』の表記に倣い「文学的な意味での著作者・作者でなく、偉大なる伝承者として後世に残したパフォーマンスを行った人物」として知里幸惠の名は書名に含め、「編」「訳」「著」等の表記はせず、結果として中川裕の名が替わって表紙・奥付に唯一、表記されることになった。

 一見、知里幸惠の仕事を古代の吟遊詩人に比し、あたかも世界文学として持ち上げているようにも見える。しかし本書の「解説」にもあるように、知里幸惠はカムイユカラの語り部であった祖母らからの自然な伝承者ではなく、金田一京助に触発されその価値を知り、記録・文字化や日本語訳を行い草稿の推敲作業を終え、急逝した。

 このような研究者としての営みを表記から消し、存在さえ定かでない古代の吟遊詩人に比するのは研究者としての彼女の否定にしか思えない。それが在野研究者への今更のアカデミズムの傲慢なのか、晴れて表紙・奥付に表記される中川裕はまんが『ゴールデンカムイ』の解説本で名を売った人であることもいささか気になる。

※週刊ポスト2023年10月27日・11月3日号

関連記事

トピックス

12月9日に62歳のお誕生日を迎えられた雅子さま(時事通信フォト)
《メタリックに輝く雅子さま》62歳のお誕生日で見せたペールブルーの「圧巻の装い」、シルバーの輝きが示した“調和”への希い
NEWSポストセブン
宮崎あおい
《主演・大泉洋を食った?》『ちょっとだけエスパー』で13年ぶり民放連ドラ出演の宮崎あおい、芸歴36年目のキャリアと40歳国民的女優の“今” 
NEWSポストセブン
悠仁さまが2026年1月2日に皇居で行われる「新年一般参賀」に出席される見通し(写真/JMPA)
悠仁さまが新年一般参賀にご出席の見通し、愛子さまと初めて並び立たれる場に 来春にはUAE大統領来日時の晩餐会で“外交デビュー”の可能性も、ご活躍の場は増すばかり
女性セブン
大谷翔平選手と妻・真美子さん
《チョビ髭の大谷翔平がハワイに》真美子さんの誕生日に訪れた「リゾートエリア」…不動産ブローカーのインスタにアップされた「短パン・サンダル姿」
NEWSポストセブン
日本にも「ディープステート」が存在すると指摘する佐藤優氏
佐藤優氏が明かす日本における「ディープステート」の存在 政治家でも官僚でもなく政府の意思決定に関わる人たち、自らもその一員として「北方領土二島返還案」に関与と告白
週刊ポスト
会社の事務所内で女性を刺したとして中国籍のリュウ・カ容疑者が逮捕された(右・千葉県警察HPより)
《いすみ市・同僚女性を社内で刺殺》中国籍のリュウ・カ容疑者が起こしていた“近隣刃物トラブル”「ナイフを手に私を見下ろして…」「窓のアルミシート、不気味だよね」
NEWSポストセブン
石原さとみ(プロフィール写真)
《ベビーカーを押す幸せシーンも》石原さとみのエリート夫が“1200億円MBO”ビジネス…外資系金融で上位1%に上り詰めた“華麗なる経歴”「年収は億超えか」
NEWSポストセブン
ハワイ別荘の裁判が長期化している(Instagram/時事通信フォト)
《大谷翔平のハワイ高級リゾート裁判が長期化》次回審理は来年2月のキャンプ中…原告側の要求が認められれば「ファミリーや家族との関係を暴露される」可能性も
NEWSポストセブン
神田沙也加さんはその短い生涯の幕を閉じた
《このタイミングで…》神田沙也加さん命日の直前に元恋人俳優がSNSで“ホストデビュー”を報告、松田聖子は「12月18日」を偲ぶ日に
NEWSポストセブン
高羽悟さんが向き合った「殺された妻の血痕の拭き取り」とは
「なんで自分が…」名古屋主婦殺人事件の遺族が「殺された妻の血痕」を拭き取り続けた年末年始の4日間…警察から「清掃業者も紹介してもらえず」の事情
(2025年11月、ラオス。撮影/横田紋子)
熱を帯びる「愛子天皇待望論」、オンライン署名は24才のお誕生日を節目に急増 過去に「愛子天皇は否定していない」と発言している高市早苗首相はどう動くのか 
女性セブン
「台湾有事」よりも先に「尖閣有事」が起きる可能性も(習近平氏/時事通信フォト)
《台湾有事より切迫》日中緊迫のなかで見逃せない「尖閣諸島」情勢 中国が台湾への軍事侵攻を考えるのであれば、「まず尖閣、そして南西諸島を制圧」の事態も視野
週刊ポスト