しかし、母親のリカルダ・ルークさんは、シャニさんは頭部に重症を負い、ガザ地区にある病院に入院しているとの情報を得たことを明かしていた。ハマスによる人質の解放が始まると、家族たちは、「なぜアメリカはカタールと接触して捕虜を解放できたのに、ドイツは解放できなかったのか?」とドイツのタブロイド紙『ビルト』で自国の対応を批判していた。
「リカルダさんは、10月8日夜にシャニさんのクレジットカードがガザ地区で使われたという報告を銀行から受けたとも伝えていました。ただ、イスラエル側もハマス側もそれぞれの思惑のもとで意図的なメディア露出をしている可能性があり、情報が錯綜している状況が続いています。
娘の生存情報を得てから進展がなく、10月20日、リカルダさんは『ビルト』に再び登場し、『私たちは生存情報を疑い始めています。1週間以上、何も連絡がありません……』と涙ながらに語っていました」(全国紙の国際部記者)
イスラエルの都市テルアビブのドイツ大使館前には、横断幕を持った人々が集まり、「ドイツのオラフ・ショルツ首相は、シャニさんを救わなければならない」と訴えていた。
「大使館前に集まった人々の中には、シャニさんの友人たちもおり、タトゥーアーティストだったシャニさんが彫ったタトゥーを入れた若者もいました。シャニさんの友人たちは、『ビルト』の取材に『彼女はとても自由な魂を持っている』や『彼女は自分の芸術を広めたかっただけ』と語っていました」(前出・国際部記者)
「芸術を広める」という夢を抱いた若者は、無惨な最期を迎えた。