習近平氏(写真/AFP=時事)
この証言は、公式メディアの報道とおおむね一致する。筆者も李氏は病死だった可能性が高いとみている。李氏と家族ぐるみの付き合いがあった共産党関係者によると、李氏は昨年初めから持病の心臓病が悪化しており、心配した家族も早めに引退して療養に専念するように勧めていたという。
いまだに一部の日本メディアは、「習近平VS李克強」といった「権力闘争」観で分析している。
しかし、揺るぎない「一強体制」を固めた習近平国家主席に対して、李氏を含めたいかなる引退幹部も習氏の政策や方針に反対したり、異論を唱えたりすることはない。習指導部にとって、すでに引退した李氏を暗殺する必要も動機もないのである。
充満した不満のガス
ただ、気になる点がある。通常、引退した国家指導者が上海で宿泊する際、虹橋空港に近く、医療施設が整備されている「西郊賓館」があてがわれることが多い。「東郊賓館」は2006年、地元出身の江沢民・元国家主席の肝いりで建てられたが、施設はそれほど充実しておらず、指導者はあまり使ってこなかった。このことは李氏が引退後、厚遇されていなかったことを物語っている。歴史に「もし」はないが、李氏が「西郊賓館」に泊まっていれば救命されていたかもしれない。
筆者が李氏と初めて会ったのは2007年。習氏とともに異例の2階級特進で最高指導部の政治局常務委員に抜てきされた党大会の会合だった。遼寧省トップの書記を務めていた李氏は、筆者の質問に対し、原稿を読むことなく、立て板に水の如く細かい経済統計や政策の文言などを答えていたのが印象的だった。
首相に就任した2013年以降、改革開放政策を進めようとしたが、マルクス主義に回帰する習氏との路線の違いは浮き彫りとなった。李氏の権限を吸い取るかのように、習氏は安全保障や経済、改革などに関する「指導小組」を次々と立ち上げ、自らがトップに就任して直接指揮をとるようになった。晩年の李氏は顔色がどす黒く、演説中も読み間違えたり水を飲む頻度が増え、精彩を欠く場面が目立つようになった。
久しぶりに李氏に笑顔が戻ったのは、全国人民代表大会開幕日直前の今年3月2日。国務院弁公室の政府幹部ら約800人を前に訴えた最後の演説でのことだった。