誰もやりたがらない仕事が増えるというのは恐ろしい。この国は30年間低賃金、重労働を自己責任と「誰か」に押しつけて現実を見ずに誤魔化してきた。それがコロナ禍と戦争、そしてこの国のあまりに急激な少子化と人口減、そして物価高とに露見し始めたに過ぎない。
当たり前の日常は当たり前ではなく、当たり前にしてくれる「誰か」によって成り立っている。学校給食法はあくまで努力義務、自治体によっては学校給食が崩壊、いずれバンザイで「親の責任」で「弁当持参」と開き直る自治体が増える可能性は高い。それほどまでに人手不足はもちろん物価高騰と輸送費、燃料代が業者を追い詰めている。
給食存続の是非はともあれ、学校給食という、私たちの昭和、平成、そして令和と当たり前のように続いてきた日本の日常もまた、危機に瀕している。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経て、社会問題や社会倫理のルポルタージュを手掛ける。