残された時間をただ死を待って過ごすことは、本人だけでなく家族の後悔も生むのだ。小澤さんは、誰かを頼ることが、後悔のない最期への第一歩だと語る。
「そもそも、人はひとりでは生きていけない。元気なうちから誰もが誰かを頼り、迷惑をかけて生きているはずです。そのことに気づき、家族や友人、医療従事者を自然に頼れるようになった患者は、残された時間で自分が本当は何がしたいか、おのずとわかってくる。
そしてそれを叶えるために、自然と人の手を借りられる。『ありがとう』と言って亡くなるかたはつまり、人の手を借りて望みを叶えられたかた。後悔なく旅立たれたのではないかと感じます」(小澤さん・以下同)
都内で働きながら認知症の母の介護をしていた矢先に末期がんの宣告を受けたSさん(50才/女性)も、他人を頼ることによって、心残りをなくすことができた。
まさか自分が人の手を借りなければ生きられなくなるとは夢にも思わなかったSさんは、当初は大きなパニックに陥った。仕事も母の世話もできなくなった自分自身に、価値を感じられなくなったのだ。だが、母を高齢者施設に入居させると、Sさんは見違えるように落ち着きを取り戻したという。
「高齢者施設のスタッフがきちんと母の面倒をみてくれることを実感し“自分が頑張らなくてもお母さんは生きていける”と安心したのだそうです。また医師や看護師と話すうちに半生を振り返り“充分頑張ってきた”と、自分を肯定できるようになった。限界までひとりで抱え込んでいたら、苦しく悔いの残る最期になっていたかもしれない」
埼玉県で教員をしていたKさん(70代/男性)は末期がんを患い、緩和ケア病棟に入院した。唯一の肉親である弟が施設費用を負担していたため、金銭面で困窮することはなかったものの、この兄弟は長く疎遠で、弟が見舞いに来ることは一度もなかったという。
「ひとりの方が気楽だよ」
そう話していたKさんだったが日に日に弱り、早くに息を引き取った。亡くなる数時間前に残した最期の言葉は「さみしい」だった。人生における「孤独感」がストレートに後悔につながるケースは少なくないと、看取りの専門家たちは口をそろえる。緩和ケア専門の有料老人ホーム「GARO HOME 鶴舞」経営者で自身も看取りに立ち会ってきた看護師の金丸直人さんが語る。
「家族との良好な関係が体の状態にもいい影響を与えた事例が無数にある一方で、家族とかかわることができなかった入居者のかたがさみしい最期を迎えられた例も、いくつも見てきました。特に過酷なのは、本人が望んでも、家族から拒否されたケースです。とある入居者の家族に“亡骸は引き取るので、あいつが死んだら呼んでください”それまでは連絡してこないで“と言われたときは、私まで苦しい気持ちになりました」
「自分はひとりだ」という意識は、時に病気よりも心をむしばむ。たとえ薬で体の痛みは除くことができても、心に傷を抱いたまま、最期を迎えることになってしまうのだ。
※女性セブン2023年11月23日号