そして〈「意味」で雁字搦めの都市から逃亡し、「無意味」の荒野を歩いて、「実存的幸福」を探すのだ〉と、以前見たYouTubeに着想を得た彼は、この〈無意味な山歩き〉を将来本にすべく、メモ帳に雑感を綴った。
例えば野営した夜に見る〈完全な闇〉の恐ろしさや、道なき道をゆく時の〈野生の領域〉に分け入る感覚。山躑躅の群生を〈赤いワンピースを着た人間〉と見間違え、声をかけたのも〈躑躅の毒〉の仕業などと、〈理解し難い事象をどうにか理屈に収めようと腐心〉するほどには、山田もまだこの時はこちら側にいた。
が、雲取山から縦走路を逸れ、三条の湯を目指した辺りから、まずは〈時計を見る回数が顕著に増えた〉。〈終わりが見えない〉感覚に怯えながらも何とか歩き、この日は温泉に浸かることもできたが、山田は思う。〈先へ進むしかなく、その前進が確実に自らの肉体を傷つけ続ける〉〈次も耐えきれるかはわからない〉と。
使ってない脳が全力で回り出す
高校の頃に単独行を始めたという著者の場合、なぜそうまでして山へ行くのか。
「うーん。痛みかな。僕の場合は痛みが欲しくて、山へ行くんだと思います。都会だと肉体も脳みそも一部しか動いてないけど、その使ってない脳が全力で回り出す感覚が心地いいんです。久々に人間とか動物、やってんなあって感じで。
それと自分の日々の心のために凄くいいと思うのは、下山した後に見える世界が、よき世界に変わるんですね。〈電線〉なんて町の景色を汚す邪魔者でしかないのに、山を下りて見る電線はもう、安心安全の象徴でしかなく、あんなに窮屈だったはずの都会の有難さが理解できるんです。山を挟むと」
が、その後も山深く歩みを進める山田は、自殺した旧友〈貫太〉や神出鬼没の〈博士〉ら、虚とも実ともつかない存在達と遭遇し、感覚だけは研ぎ澄まされた異様な世界に陥ってゆく。
「何が現実で何が非現実か、理屈で説明できないことがフツウに起きるのが山で、僕もあり得ないものは結構見てますね。後から地図を見ると、辿ってきたはずなのにそんな道はどこにもないとか、30分歩いたのにまだ10分? とか、認識と事実のズレも容易に起きる。
ただしこの貫太や博士は僕の人生では大きな意味を持つ存在で、忘れたいのに忘れられないある後悔に関して僕自身の救済を試みたともいえる。でもダメでしたね。そんなことで救われるはずもなく、この中にも人生の如何ともしがたい事柄のひとつとして、登場していると思います」