田中美奈子の応援にかけつけたミノワマンZ(47才・前列左から3人目)を楽屋で囲んで
この3人だけでなく、ほかのメンバーも異口同音に言っておられたのは、今回のイベントが「タレント発信」であるということ。つまり、構成や選曲、トーク内容もすべてタレントさんたちで考えたというのです。
その昔、特に女性アイドルの皆さんは「お人形さん」とも言われていて、自分主導で何かやるなんてことはなかったように思います。だから1980年に引退した山口百恵さん(64才)や1982年デビューの小泉今日子サン(57才)、中森明菜サン(58才)による“セルフプロデュース”が光ったわけですが、そうした皆さんも自らイベントを企画したり、仲間に声をかけたりすることは考えもしなかったと思います。
「あの当時はそれぞれが必死にトップアイドルになりたくてみんな戦っていたと思います。だけど時が流れて、いまは戦友が親友になれたからできたイベントじゃないかと思ってます。西山(浩司)サン以外は歌ではトップになれなかったメンバーですが、今後ともよろしくお願いします」とは野々村真サンです。
果たして、全員が酸いも甘いも噛み分けたアラ還となり、さらにそれぞれが芸能界の荒波を乗り越え、でもまだまだパワフルにお仕事を続けているからこそタレント発信のイベントとして昇華したというワケ。
ファミリー感満載となった一因として、現場を仕切ったり、マスコミ対応をしてくださったのが田中美奈子サンのご主人だったことも大いに関係していたと思います。
MCコーナーで「生き字引き」とお褒めいただきました
昭和歌謡ブーム、昭和アイドルブームの中でも、もっともパワフルだったのは1980年代ではないでしょうか。各局に歌番組があって、音楽祭も盛んで、毎年、最優秀新人賞は熾烈な戦いとなりました。特に女性アイドルの皆さんは、各音楽祭で順番に最優秀新人賞を受賞していきましたし、『日本テレビ音楽祭』(日本テレビ系)に「金の鳩賞」といってデビュー2年目の歌手を対象にした賞が設けられていたのは、いかにその時代の歌手の皆さんが音楽番組を席巻していたからにほかなりません。
松田聖子サン(61才)、田原俊彦サン(62才)がデビューした1980年からTBSラジオで働き始めた私は、生まれて初めてインタビューした芸能人が聖子サン。“同期デビュー”の気分そのままに“外回り”を担当した『ハローベストテン』でもっともインタビューしたのは、まさに今回の出演者の皆さんたち。
「花の82年組」は“心の同期”のようなもので、10月に見に行った松本伊代サン(58才)のライブで、渡辺めぐみサンから今回のイベントを教えていただいたのです。