実家は造り酒屋の名士
前谷容疑者と石川氏が喧嘩になった現場
祭りの喧嘩は両者の対立を一般人に周知したが、地元の人たちがあまりに前谷容疑者をかばうので、最初は事情が分からなかった。とある商店主が前谷容疑者の実家を教えてくれ、訪問してようやく理由が分かった。
四国中央市は大王製紙の四国本社と三島工場を抱える日本一の「紙のまち」だ。三島神社の玉垣はこの地で生まれた大王製紙の創始者・井川伊勢吉をはじめ、井川家一族の寄進者の名前がずらりと並ぶ。お宮の真横にはカミ商事の井川勝正氏の大豪邸があり、前谷容疑者の実家はその並びにあった。かつて造り酒屋を経営してたといい『愛媛県史地誌II(東予東部)』には「前谷(以下略)等の屋敷や倉庫群(蔵)が軒を並べていた」という記述があるほどの名士なのだ。前谷容疑者を知る昔馴染みの男性はいう。
「子供の頃、よく神社で遊びました。おとなしい人だったんです。中学を卒業し再会したら急に不良になっていて驚いた。地元では若い衆を連れたりせずいつも一人です。実家は造り酒屋で『東洋正宗』という銘柄を作っていた。大鵬が興行に来たときには『大鵬』という酒も出しました。弟さんが全く別の蔵元に勤めたんですけど早世しちゃって廃業した。今はおかあさんがいて、よく散歩してるんだけど、事件後は姿を見ません。本当に不憫です」
1月初旬、岡山市の山健組妹尾組二代目が亡くなり、斎場には前谷容疑者の姿があったという。
「いつもと変わらぬ様子だった。悩んでるふうではなかった」(友好団体幹部)
が、名士の家に生まれ、ヤクザの親分となっていたのに、衆人環視の中、地元の祭りで襲われ、かつての身内にメンツを潰された前谷容疑者はかなり思い詰めていたと考えていい。なにしろスタバは襲撃場所と考えると、目撃者は多く、巻き添え被害も出やすい。防犯カメラも多数あり、犯行を隠蔽できない。対立している石川氏が出張ったのも、待ち合わせ場所がスタバだったからだろう。誰だって衆人環視の中なら、まさか襲われないと考える。犯行後はどうなってもいいと捨て鉢にならなければスタバでの襲撃は不可能だ。
山口組分裂抗争の最前線で組織の司令官となり、自身が銃撃されても報復しなかった前谷容疑者は、個人的な怨恨では短絡的に相手を殺害した。前谷容疑者は暴力団筋に「自殺する」と言い残し、姿をくらませたという。捕まれば懲役20年は堅く、無期懲役の可能性もある。地域住民は、みなこの結末を注視している。正当な手段で罪を償って欲しい。
◆取材・文・撮影/鈴木智彦(フリーライター)