四半世紀の空白を経て、歯車はまたゆっくりと、今度はしっかりと噛み合って動き始めた。
「楽曲の提供こそないものの、つながりとしては再会後の方が強いように感じます。中島さんは曲を提供しなくなったことで、研さんの才能を再確認しているようでした。以前、中島さんがテレビ番組の企画で研さん宛てに手紙を書いていましたが、その文面からは、なぜ彼女が研さんに最も多くの楽曲を提供したかが読み取れた気がします」(前出・音楽関係者)
そのテレビ番組とは2007年2月放送の『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)。研ナオコ特集が組まれ、研と関係の深い中島はこんな“ラブレター”を寄せた。
《研ナオコ様。私は貴女の生活を聴きとり調査して、楽曲を書いたわけではありませんでした。なのに貴女が歌ってくださるのを聴くと、もともと貴女がシンガーソングライターで、生まれた作品だったように聴こえてくるから不思議です。この場合、私の役目は貴女の筆記用具だったのかもしれない、と思えるほどです》
そして手紙はこう続く。
《私は貴女にますます憧れっぱなしです》
その後もことあるごとに中島は研に手紙を書き続けた。2017年3月、研が舞台の公演中にけがをして入院した際も、中島は直筆の手紙を送って勇気づけた。
一方の研は、手紙の返事を出したことがないという。
「でもそれは、“返事なんて期待していない”という中島さんの心情を理解してのことなんです。実際は研さんの中島さんへの思いも相当なもので、中島さんが提供した曲を歌うほかの歌手を見るたびに“違う、違う”と言ってもどかしそうですし、“私が中島みゆきを歌えなくなるときは死ぬとき”と公言しています」(前出・芸能関係者)
縦と横の糸が一枚の布を織りなすように、中島が作った曲を研が歌い上げることで名曲が完成する。そんな日がまた来ることを願うファンは少なくない。
※女性セブン2024年2月22日号