明朗な歌声で親しまれた歌手の三波春夫さん。「お客様は神様です」という言葉がよく知られているが、誤った解釈が広まっている(時事通信フォト)
これも「失われた30年」ということか。見解はさまざまだが、思えば教師も昭和のころはめちゃくちゃで、職員室で煙草を吸っていたり、缶コーヒーの空き缶タワーを築いてご満悦だったりした。
「あなたの時代より前だと教員たちで校長を吊るし上げることもありました。労働運動が良いか悪いかは人によるのでしょうが、意思を示すことができた時代のほうが緩かった。声を上げなければ好きなようにされる、それは事実だし、日本人ってそんなに窮屈じゃなかったように思うのです」
「お客様は神様です」の誤解
日本人は云々、とされるが、思えば江戸時代などまさに適当で町人はのんべんだらりと暮らしていたことはよく知られている。たいして働き者でもなければ、案外と横柄な文化だったとされる。もちろん身分差別や年貢など大変だったし封建社会ならではの不自由さはあったのだろうが、現代の日本人が歴史上で一番の働き者で忠誠心の高い、他人に厳しくいちいち細かい日本人なのではないかと思わされる。
「水分補給タイムです」
冒頭のこれ、じつは近年の高校野球の開会式でも流れて久しい。実際の文言は、
「ここで、熱中症予防のため、水分補給の時間を設けます。グラウンドのみなさん、スタンドのみな様も、ご協力をお願いします」
である(細かい言い回しは大会による)。
行進中はともかく、喉の乾きなど人それぞれなのだから水分を補給する行為など、著しく進行の妨げにならない限り好きにさせればいいのに、と思ってしまうが、それでも水分補給なしで延々と炎天下の開会式に立ちっぱなしの以前よりはまし、ということか。もっとも、スポーツ(とくに部活)に関しては今も昔も「水分を摂るな」は長かった。
ちなみに高齢者の方々からは「三波春夫のせい」という意見もあった。もちろん冗談だが、三波春夫の「お客様は神様です」というフレーズのことだろう。
しかし三波春夫のこの言葉はまったく違う意味である。実際に三波春夫のオフィシャルサイトでは『「お客様は神様です」について』として、こう綴られている。
〈歌う時に私(三波春夫)は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです〉
お客様に歌を披露するための、三波春夫個人の心がけの話、であった。客からの要求や客に対する忖度やへつらいとしての「お客様は神様です」ではなかった。あくまで芸事の、それも送り手の側の話であった。