「しんどい」「痛い」
葬儀場(奥様提供)
自らを「男・山根」と呼んでいた会長は、普段から「疲れた」とか「痛い」などと口にするような人ではありませんでした。
もともと糖尿病の持病があり、過去には胃がんや膀胱がんを患った経験もありますが、昨年末まで本当に元気だったんです。ただ、末期がんを宣告されたあと、女性マネージャーにはこう弱音を吐いたこともあったそうです。
「わしは強く生きてきたけど、やっぱり『しんどい』とか、痛い時は『痛い』と言うべきだった」
転んで足を複雑骨折した時でさえ「痛い」と言わなかった会長も、耐えきれないほどの苦しみが今生の間際に襲っていたのです。
1月下旬に入り、気管にできたがん細胞がくっついてしまい、息苦しさを伴うようになりました。それでもベッドで大好きな大相撲を観戦していました。また、知人がお見舞いに来ると、パジャマ姿の会長は必ず病室に持ち込んでいたハットをかぶり、サングラスをかけて写真を撮っていました。それが「男・山根」のマナーだったのでしょう。
2月1日に転院を予定していましたが、1月30日に、家族ががんセンターに呼ばれました。肺炎も併発していた会長の呼吸がいよいよ困難になり、オキシコドン(医療用麻薬)の量も増えていました。
ここで病室にいたみんなが驚くことが起きました。薬によって意識がもうろうとしているはずの会長が起き上がり、さらにはベッドから降りて立ち上がろうとするのです。薬の説明をしようという病院の先生に対し、会長はこれまでの御礼を言おうとした。「おおきに、おおきに」と繰り返す会長に先生も恐縮した様子でした。
6年前の騒動のあと、疎遠になっていた息子の昌守さんもかけつけてくれました。昌守さんは、4度の結婚をしている会長にとって、最初の奥様との間に生まれた方です。起き上がった会長は終始うつむき、両手は布団を強く握りしめていました。動画を撮りながら別れの言葉をかけてくる息子に、会長がどんな感情を抱いたのか、私にはわかりません。父と息子には他の者が立ち入ることのできない複雑な相克があったと思います。