娘の言葉に涙を流しながら逝く
そのあと、会長の心拍数は不安定となり、いよいよ鎮静剤を打って眠らせるというタイミングで、次女が韓国のソウルから到着しました。看護師さんに「残念ながら亡くなる準備に入っていますが、耳は聞こえています。言葉をかけてあげてください」と言われた娘は会長にこう告げました。
「お父さん、私をあなたの娘にしてくれてありがとうございます。今後、生まれ変わっても。私はあなたの娘で生まれたいです」
会長と私は再婚同士で、ふたりいる娘と会長の間に血縁関係はありません。でも、会長は私の娘たちを実の子供のように可愛がってくれていました。娘の言葉を聞いて、意識がもうろうとしているはずの会長の目から涙がこぼれ落ちました。娘の言葉は、会長の心に届いたようでした。その光景に私たちも涙し、約6時間後となる1月31日の午前3時35分、会長の心臓は止まりました。実に穏やかな顔をして、会長は旅立ちました。
私と会長は11年前に結婚しましたが、決してロマンティックな出会いではありませんでした。その頃、私の店が乗っ取り被害に遭いそうになっており、会長が助け船を出してくれたんです。
「乗っ取りなど許されない。ちょうど籍が空いておるから、わしの妻にならへんか? わしがお前の壁になって店を守ったるから、娘ふたりと一緒に頑張れ」
その次の日には区役所に婚姻届を提出し、私と会長は夫婦になりました。当時、日本ボクシング連盟の会長として、世界を飛び回っていた会長ですが、私は会長には同行せず、いつも陰から支えておりました。
私には会長から受けた大きな、大きな恩がある。28歳も下で、韓国出身の私が大阪で生きてこられたのも会長のおかげです。昨年末に病気が発覚して以来、2か月の間は看病し、最期を看取り、密葬では喪主を務めたことで、妻としての役目は果たせたと自負しています。会長から受けた恩も少しは返せたような気がしています。
そして、会長は私の店を愛してくれていました。店のスタッフもみな、会長のことが大好きでした。ですから、会長が闘病中も、そして亡くなったあとも、葬儀の日も、店は1日も休まず営業しました。今後、店に会長は不在になりますから、お客様は減るかもしれません。だけど、私は会長が愛した『オアシス』を守り続けることが私の務めだと思います。
会長は2018年に大バッシングに遭い、会長職を辞めることになりました。確かに間違っていたこともあったと思いますが、会長は私利私欲のために会長職を利用したことは一度もありません。会長の財産という財産は、まったくありません。だから、遺産相続で揉めることもありません(笑)。
いつだったか、会長が「よぼよぼになって死ぬのは嫌だ」と話していたことがありました。
最期の瞬間まで立派な男・山根であり続けたと思います。
■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)