ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十三話「大日本帝国の確立VIII」、「常任理事国・大日本帝国 その7」をお届けする(第1411回)。
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日本人をいまも呪縛する、「犠牲者の死を絶対に無駄にしてはならない」という信仰。
現在、日本全土が北朝鮮のミサイルの射程に入り、一方でロシアのウクライナ侵略戦争が続いているのに、いまだに「平和憲法を護れ(憲法第九条を変えるな)」と叫ぶ人々がいるのを見ても、その信仰がいかに日本人の心を呪縛しているかわかるだろう。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、いやウクライナ国民はいまNATO(北大西洋条約機構)加盟を切望している。アメリカを中心とした強力な軍事同盟に入っておけば、ロシアもウクライナに手が出せないからだ。こういうことを抑止力という。抑止力こそ、現実にはあらゆる理想を超えて国を守り世界平和を守る、もっとも有力な武器だ。
ところが日本はまるで逆で、かつて日米安保条約に反対した人々が憲法改正にも反対している。なぜそうなるかは前回詳しく説明したので繰り返さないが、こういう人々には自分たちがやっていることは「東條英機と同じ」だということに早く気がついてほしい。戦前はいまとまったく逆で、「袁世凱政権と妥協して日中平和をめざそう」などと言えば、現在の「改憲論者」が護憲論者から浴びせられるような悪口雑言を浴びた。
「まったく逆」と言ってもそう見えるのは表面上だけで、じつは同じ信仰に基づくものであることはおわかりだろう。それが、論理的にものを考えるということである。そして戦前の日中友好論者にもっとも罵声を浴びせたのは、陸軍であった。
なぜなら「十万の英霊」には海軍軍人もいないわけではないが、大多数は陸軍軍人だからだ。陸軍にとって「膠州湾を無償で中国に返還し、友好の道を探れ」などという意見は「極悪人の発想」になる。始末の悪いことに、陸軍には新聞という大応援団がいた。朝日新聞が典型的で、戦前の「満洲は日本の生命線だ。
どんな犠牲を払っても絶対に手放すべきではない」という姿勢と、戦後の「なにがなんでも平和憲法を護るべきだ」という主張は「まったく逆」のように見えるが、じつは「まったく同じ」である。要するに、朝日は「宗教新聞」なのだ。本当の新聞ならば真実を報道するのが使命だが、宗教というものは「教え」にとって都合の悪いことは無視する。だから朝日は、「中国の文化大革命は素晴らしい」「北朝鮮は平和国家でミサイルなど造っていない」と言い続けた。
この点は毎日新聞も同じで、日本はポーツマス条約締結直後の日比谷焼打事件で正しい報道をしていた國民新聞が崩壊させられた後、基本的に新聞はすべて「宗教新聞」になってしまった。要するに、「犠牲者の死を絶対に無駄にしてはならない」という「宗教」の「機関紙」だ。
だから袁世凱軍が日本人を虐殺した南京事件が起こったとき、毎日新聞(当時は東京日日新聞)は「日本はドイツ人宣教師殺害事件のときのドイツを見習うべき」などという「火事場泥棒のススメ」を紙面でおおいに煽り、結果的にその影響を受けたとしか考えられない右翼青年によって、日中問題をできるだけ穏健に扱おうとしていた外務官僚阿部守太郎は暗殺されてしまった。この事件は最近年表にもあまり載っていないが、じつに重大な事件である。