阿部サダヲと実父のツーショット
「芸名の“阿部サダヲ”は『阿部定事件』をもじって決まったそうです。阿部さんが劇団に入って半年後、先輩の温水洋一さんがヘルニアでドラマを降板したんです。その代役に抜擢されたのが彼で、なんとか大役を務め上げました。今では軽く演技している感じなのに、お客さんが阿部さんを観てつい笑ってしまう。彼にしかできない世界観をもっています」(舞台関係者)
同じ年で気心知れた宮藤の脚本について阿部は、絶大な信頼を寄せているという。
「今作はすでにオールアップしています。2人は1980年代に青春を過ごした同世代で、阿部さんは宮藤さんの脚本について、『テンポが独特で、セリフというよりは日常会話に近い』と語っていて、あり得ない設定でも自分にとっては現実的な感じで演じられるそうです。『宮藤官九郎の脚本の面白さと世界観を伝えられる役者でありたい』と、話していました」(同前)
実父が語った昭和「ショート、サードでね」
阿部を誰よりも知る、目元や声が本人そっくりな実父は息子の素顔をこう明かした。
「倅(せがれ)は手のかからない子どもだった。私の影響で野球が好きで、高校まで野球ばかりやってた。ショート、サードでね。でも小柄だったから野球は諦めたの。映画やドラマよりも野球ばっかりやってたから、まさか俳優になるとは想像もつかなかった。普段はおとなしいんだけど、ただ突然テンションが高くなったりすることはあったね(笑)。
正月は帰ってくるけど、本人はどのドラマに出るとかはいわないから、こっちから『お前、ドラマ出るのか?』と言うくらい。『大人計画』に入り、宮藤官九郎さんに出会って、芝居をやっていくなかで認められたんじゃないかなと思う。ファンの方には、観ていただいてありがとうございます。これからも倅をよろしくお願いします」
阿部の青春時代は“チョメチョメ”よりも白球をひたすら追いかけた高校3年間だったようだ。