いまも廊下には家族写真
明菜は家族との関係を徹底的に消し去ろうとしたが、両親やきょうだいにとっては寝耳に水の事態だった。第三者が嘘を吹き込んでいると考えた明菜の父は、誤解を解こうと何度も呼びかけたが、その声が彼女に届くことはなかった。
「明菜さんからは一切連絡がなく、お父さんは『そんなに会いたくないなら、もういい』と諦めかけていたそうです。それでも、病床では“(明菜に)もう一度会いたい”と周囲に話していたのだとか」(前出・中森家の知人)
家族の断絶は明菜の兄にとっても悲痛な出来事だった。
「自分が最後に会ったのはもう36年前になります。はじめのうちは、明菜のひとつ上の姉が連絡を取っていたのですが、あるときから誰も本人と話をすることができなくなってしまって……。2019年にいちばん下の妹が亡くなったときも、明菜は葬儀に来ませんでした。おそらく母の墓がどこにあるのかも知らないでしょう。いまこそ伝えたいことが山ほどあるし、きちんと話をしたいと思っているんです」(明菜の兄・以下同)
かつて明菜も暮らしていた都内の実家は、周囲をキャベツ畑に囲まれたのどかな住宅街にある。父が帰りを待ち続けたその家に、明菜は何十年もの間、立ち寄ることはなかった。
「父が入院した後、あの家には誰も住んでいません。でも、明菜が過ごした部屋は当時と同じ状態で残っています。デビュー当時のレコードやトロフィーが飾られ、母が大事に保管していたビデオテープもそのままになっているんですよ。
昔のビデオデッキには予約機能がなかったので、母はよく寝ないで明菜が出る番組を録画していました。芸能界で活躍する娘のことを誰よりも誇りに思っていた母は、今回の復活を天国で喜んでいるでしょうね」
実家の廊下には、いまも家族の写真が飾られている。
「明菜がデビューして4年くらい経った頃に、みんなで伊豆の方に行ったこともあります。明菜は忙しくて一泊だけしかできなかったんですが、浴衣姿で楽しそうにしていたものです。子供の頃の思い出も忘れることはありません。
自分はもちろん、家族は何があっても明菜を応援してきました。前の事務所にいたときは、本人に取り次いでもらえなかったのですが、独立したいまなら話ができるかもしれない。私たちからも呼びかけてみようと思っています」
家族の切実な思いは、明菜に届くだろうか。
※女性セブン2024年5月2日号