聖徳太子は、その名のとおり皇太子である。摂政を務めているから天皇代理でもある。ところが七世紀初め、その聖徳太子は「十七条憲法」の第一条でなにを述べたかと言えば、「物事はすべて話し合いで決めなさい」ということだ。独裁権力のまったく逆こそ理想だと明言しているのである。しかも、最後の第十七条で「物事は独断で決めてはならない」と念を押している。独裁権力の否定である。
だからこそ日本は天皇を頂点に担ぎ上げたときも、その前で話し合って結論を出すという形しかできず、わかりやすく言えば権力集中制を取ることができなかった。それが日本という国家組織の最大の問題点なので、話し合い体制が「和を保つ」ことに汲々として、実行されるべき改革が不可能になってしまう。室町時代末期、いや現代もそういう時代である。
そこで、そういうときは時代の要請に応じて織田信長のような独裁者が稀に出現するが、その信長が本能寺で殺害されたことでもわかるように、日本人は結局こうした権力者を認めない。そのことは「十七条憲法」に「物事は独断で決めてはならない」と規定されているところまで遡る。つまり、信長は「憲法違反」だったのだ。
現代の自民党もまさに「話し合いによる寄り合い所帯」である。この項を書いている現在、東アジアのハブ空港は韓国の仁川国際空港であり、日本の羽田でも成田でも無い。だが、東アジア初のハブ空港をめざして成田国際空港が開港されたのは一九七八年(昭和53)、仁川が開港されたのは二〇〇一年(平成13)である。 二十三年も後にできた空港に、本来占めるべき地位を奪われたのだ。
反対運動が激しかったからだなどという言い訳をする人間もいるが、それならばさっさと見切りをつけ羽田空港の東京湾への拡張路線を選ぶべきだった。これなら騒音問題も発生しようが無い。そういうことのできない「意思決定能力が薄弱」な政府だからこそ、マラソンで言えば「二十三分遅れでスタートした選手に抜かれた」というマヌケな話になる。欧米諸国でも、それとまったく反対の政体の中国や北朝鮮でも、権力は集中しているのでこんなマヌケな話は無い。
もちろんこれら権力が集中している国でも「決断したことが失敗する」ことはありうる。しかし、その失敗責任は明確になるし、なによりも「決断ができないために失敗する」ということはあり得ない。ここが日本と日本以外の国のまったく違うところであり、なぜそうなのかを解明するのが真の意味での「日本史の研究」だと私は考える。
その観点で言えば、この独裁否定つまり「話し合い絶対主義」はそもそも大和朝廷が成立した時点まで遡れる。天皇家の祖先神であるアマテラス(天照大神)はあきらかに日本列島先住民の王であるオオクニヌシ(大国主命)から国を奪ったのだが、神話においてはあくまで「話し合いによる国土の譲渡(国譲り)」になっており、これも世界の常識ではあり得ないことだ。
かつてアメリカの近代史もそうだったが、「建国神話」は先住民が「悪」であったからこそ「正義の民族」が先住民を滅ぼして新しく正しい世界を築いたという形にするのが、世界の常識である。日本だけそうなっていない。つまり「和を保つ」ことは、聖徳太子がそれを「保て」と言ったから日本の国是になり、その結果「意思決定能力が薄弱」な国になったわけでは無い。それ以前の古代日本が大和朝廷の形で成立した時点でそうなのである。