騎一郎は、豪放磊落(らいらく)な勝の生き様も目の当たりにした。
「事務所の下にあった電柱に勝おじちゃんが運転するセンチュリーが派手にぶつかったことがあったんです。俺が驚いていると、もう一度バックして、またぶつける。柱にヒビが入って、ボロボロになっているのを見て、俺が呆気に取られていると、勝おじちゃんが『おい、騎一郎、その顔だよ』と(笑)。その表情を覚えさせるためだけに、何百万円をパーにしても気にも留めない人でした」
父のもとで3年間修行を積んだ後、俳優として世に出た騎一郎は、ドラマ『北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼』(テレビ東京)シリーズなどで活躍した。1992年、富三郎が鬼籍に入ると、それまで優しく接してくれた勝の態度が一変したという。
「親父が生きているあいだは優しくしてくれたけど、亡くなってからは急に怒るようになったんです。俺の父親代わりになろうとしてくれたらしいのですが、優しかった勝おじちゃんに厳しくされるのはショックだった。
病気にかかってからは、息子の雁龍(がんりゅう)にも辛く当たることがあったそうです。自分に残された時間が少ないことがわかっていたから、一刻も早く子供たちのことをきちんとしておきたかったのかもしれません。
親父、じいちゃんという順で逝って、最後に残ったのが勝おじちゃんでした。入院する前に、おばちゃん(中村玉緒)と共演した『夫婦善哉 東男京女』を観に行った時のことです。楽屋を訪ねると、勝おじちゃんは俺にこう言いました。『この舞台は3回観ろ。センターと上と下で分けて観ろ。いいか、おじちゃんはこういう芝居をやる。上ではおじいちゃん(杵屋勝東治)の芝居をやる。こっち側ではお兄ちゃん(富三郎)だ。ようく見て目に焼き付けとけ』と。今思い出しても泣きそうになります」
気がかりなのは、夫と息子にも先立たれた叔母、玉緒のことだ。
「寂しい思いをしてるんじゃないかな。勝おじちゃんと一緒になって、ある瞬間の幸せはあったと思うけど、いい時はそんなに長続きしなかった。人生山あり谷ありという言葉にかけて、おばちゃんは『山に登ったらと思ったら、その先はずっと谷が続いていた。お金ができたと思ったら事件、事件。人生、谷ばかりだった』と笑っていたものです」