連絡先も知らない田中眞紀子氏から電話があったという(時事通信フォト)
──がんを克服したときも奥様の助言があったと伺いました。
「僕は東京でアメリカ軍からの空襲(1942~1945年)を経験してるので、子どもながらに『もう死んじゃうんじゃないか』と思ったこともありました。あのときの戦争にくらべたら“がん”は1人で病気と闘ってればいいんだからって思う。そしたら割合、深刻にならない。
あと、大切なのは早期発見なんですよね。僕はおかみさんが『ちょっとお父さん変よ』って、『風邪じゃないから診てもらって』って。そしたら喉頭がんだったんですよ。だから、それはすごくうちのおかみさんのおかげだなと思ってね。今の僕があるのはおかみさんのおかげです」
──先日、寄席で大変なことがあったそうですね。何があったんですか。
「昨年11月、上野にある鈴本演芸場の寄席で僕の『明るい選挙』って噺をしたんです。その中で、田中角栄さんのシーンがあるんですよ。“田中でございます”っていう。それが客席でウケて得意になって家に帰ってきたら落語協会から電話があったんです。前から2列目の席に娘の田中眞紀子さんがいたと。それで『うちの父の声を聞かしていただいて、懐かしかった。本当に嬉しかった。木久扇さんに伝えておいてよ。私感激してんだから』って。角栄さんと同じ声だったそうです(笑)。後日、ご当人から『清酒田中角栄』というお酒が届き、お正月に一門で“田中角栄”をいただきました。いろいろなことが繋がって、もう世の中は本当におもしろいですね」
──「明るい選挙」の新作落語などは考えたりしますか?
「昔はね、古い話ですけど、吉田茂さん、浅沼秀次郎さんとかね、モノマネをするとその人の顔と動作がパッと浮かぶ人がいっぱいいましたもんね。今はモノマネをする人がいないんですよ。
でも内閣総理大臣の石破茂さんは面白い人だと思うんです。石破さんが防衛庁長官時代に僕は自衛隊のパーティに呼ばれて行ったんです。そのときに挨拶の言葉で、『石破さんとかけて、新聞と解く、その心は、長官(朝刊)がやはり一番いいでしょう』って言ったら『上手い上手い』って喜んじゃってね。あんな少年っぽい人だとは思わなかったですね。普段は怖い目つきでね、貫禄がある人なのに」