運転する北村さん(運転免許証は2024年に返納)
「生き残っている僕の責務」
仲間との別れが続くにつけ、北村さんは残された者として戦争の悲惨さを伝えなければ、との思いを強くする。それが、今回の舞台の演目として、『フツーの生活 長崎編』をとりあげた一番の理由だ。
「僕が生まれてから約90年。第二次世界大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争……今はロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ。振り返ると戦争の連続でした。でも、平和な日本で1世紀近く生きてくると、戦争体験者の僕でさえ、戦争の狂気というものを忘れかけていたことに、今回、長崎を訪問して気付きました」
北村さんは第二次世界大戦終戦時、9歳。10歳になる年だった。自動車関連の仕事をしていた父親は、目の病があり従軍を免れたが、家族の暮らしは楽ではなく、高知市は空襲に何度も襲われた。それはこの世の地獄だった。
「僕の家は高台にあったので家族は無事でしたが、目の前で機銃掃射を受けた人がバタバタと倒れ死んでいくのを見ました。飛行機が焼夷弾を落とし、町中は真っ赤で阿鼻叫喚……。
食べ物は満足になく、僕たち家族は父親が山の斜面を掘って作った、横穴式防空壕で寝泊まりしなきゃなんないのもイヤでした。土の上に藁を敷いて寝るのですが、土やカビのニオイが臭くてね。戦争は銃後の人間の日常も不幸にするんです」