『あの頃に戻りたい。そう思える今も人は幸せ』/飛鳥新社/1650円
【著者インタビュー】大崎洋さん(『崎』は“たつさき”)/『あの頃に戻りたい。そう思える今も人は幸せ』/飛鳥新社/1650円
【本の内容】
幼い頃の思い出から、吉本興業に入社した頃、そして今は亡き伝説的な漫才師や著名人との交流、大好きな銭湯や旅先での話まで。過去と現在、この先の話まで、大阪弁も織り交ぜて縦横に綴ったエッセイ集。例えば「言い訳もなぐさめも」の一編では、《日々の病院通いとベンチャーと夢の続き。/年齢を重ねていけばいくほど、“平凡”が一番ありがたい。/つくづくしみじみ思う今日この頃。/老人にならないと分からない。/“なつかしさの力”も私にまだある》。読むうちに肩の力が抜けて気分が解れてくる。巻末に島田紳助さんとの爆笑対談を収録。なんと2人して6時間もしゃべり倒したとか!
最初は全国の銭湯を回って銭湯案内を書くつもりだった
雑誌連載時は「らぶゆ~銭湯」という題だった。
「まだ吉本(吉本興業ホールディングス)にいたとき、ご縁があってお声がけいただいて。そろそろ会長も辞めなあかんし、何しようかなと思ってた時期で、銭湯好きやし、全国の銭湯回ってスマホで写真撮って、銭湯案内書くんやったらできそうや。1人でできることやしラッキー、と思って『はいはい、わかりました』と引き受けたんです」
パソコンは使えないので原稿用紙に鉛筆で書く。書き上げると携帯で写真を撮って秘書に送り、打ち直して編集者に送ってもらっていた。いつもより早く書き上げたと思っていたら、400字7枚のところを200字で書いており、足りないぶんを慌てて書き足したこともあったとか。
「いまだに句読点とか、てにをはとか助詞とかわかってなくて、『゜』はカギカッコの中につけるんやったっけ、外やったっけ?って感じで、書き方がその都度、違ってたりします。主語が僕になったり私や俺になったり、急に大阪弁になったり、毎回ぐちゃぐちゃ、起承転結もないんですけど、編集者は原稿より長い感想を毎回くれましたし、書くのは楽しかったですね」
吉本興業時代に地方創生の仕事を手がけていたこともあり、各地を旅する機会が多かった。
「青森、金沢、鹿児島、尾道は割と足しげく銭湯に通いました。部外者なんで、地元のおじいちゃんたちにじろっと見られたりしながら『お邪魔します』と入っていくんですけど、サウナに入ると1人ぐらいはおしゃべりのおじいちゃんがいるんで、なんとなく声かけてもらったりして。
お酒飲めたら居酒屋に行ったりするんでしょうけど、僕、飲めないんです。何の仕事してんの? 吉本です。吉本興業ってあの吉本か? それから新喜劇がどうとか、やすしきよしがどうとか、ワシも若い頃、大阪で花月に行ったで、みたいな話で盛り上がって、その土地の社会課題みたいなものも聞かせてもらって。面白いなと思ってもそれをうまく活字にする能力はなく、話があっちゃこっちゃにズレながら毎回2800字を埋めました」
銭湯の話だけでなく、少年時代の思い出や、これまでに出会った人たちとの忘れがたい会話へと話は広がっていく。
会社を辞めてスーツを着なくてもよくなったら、サラリーマン時代の洗いざらしのカッターシャツを着て、ビーサンを履いて、東京や大阪を離れ、沖縄をウロウロしたかったという大崎さん。
取材時はスウィングトップにジーンズ、スニーカーという軽装だったが、現実には大阪・夢洲で開催中の大阪・関西万博の、催事検討会議共同座長という要職にある。
「万博協会に所属すると『みなし公務員』ということになって、いろいろ制約が大変そうで1年半ぐらいお断りしてたんですけど、経産省のほうで新しい組織体つくって、華道池坊の次期お家元である池坊専好さんと共同座長で、という提案をいただいたので、吉本には『辞めるわ』って言って、スパッと辞めたんです」
3千数百予定される催事に、何を選び、予算をどこから持ってきて、どういうふうに実現するかをまとめあげる準備期間と連載時期は重なっているが、そのあたりのことは本にはほとんど書かれていない。
「少子高齢化、シャッター通り商店街や地方の疲弊、度重なる自然災害。日本は社会課題の先進国です。いま万博をやるなら、世界の英知を集めて、あとで振り返ったとき課題解決の元年になった万博だった、ってなれば、万博をやる意味もあるかな、って思うんです。お祭りを楽しみながらやりましょう。そういうことも今回の本に書けばよかったんでしょうけど、活字にしたら漫才師のマネージャーが何えらそうなこと言うてんねんって絶対思われると思ったから、それ以外のことを書こうとしたらこんな雑文になってしまいました(笑い)」