『はじまりと おわりと はじまりと ─まだ見ぬままになった弟子へ─』/川西賢志郎・著
【書評】『はじまりと おわりと はじまりと ─まだ見ぬままになった弟子へ─』/川西賢志郎・著/KADOKAWA/1760円
【評者】松尾潔(音楽プロデューサー・作家)
本書は「テレビで会えない芸人」の異名をとる松元ヒロのライブで知った。感銘を受けた本について滋味深く語るのは松元の十八番。自分に言及した箇所の引用にはじまり、著者が交通事故死した父の亡骸に向き合う話まで、独自の解釈を加えて唯一無二の語り芸に昇華させていた。落涙を禁じえなかったぼくは、元となる本の内容を自分の目で確かめたくて手にとった。
著者は2016年から3年連続で「M-1グランプリ」準優勝という快挙を遂げながら、昨春解散した人気漫才コンビ“和牛”のツッコミだった芸人・川西賢志郎。高い人気と圧倒的な実力で将来安泰が約束されていた和牛の活動を終えた節目に綴ったエッセイは、ストイックな芸論にして、示唆に富んだ人生論だ。
町工場ひしめく東大阪で勤勉な両親のもとに生まれ育った利発な少年が、大学を辞めて漫才師を目指し、試行錯誤と奮励努力を積んで夢を叶えながらも、熟考の末にそっと漫才の蓋を閉じるまでの回顧録である。
華やかな芸能界を想起させる描写はほとんどない。川西は“松元ヒロ”のようなわずかな例外を除いて固有名詞を極力排除、抑制の効いた筆致で書き進める。“和牛”や元相方の名前さえ登場しないのだから徹底している。その試みは本書に普遍性をもたらし、ぼくのような芸人事情に疎い者でも蚊帳の外の気分を味わうことなく読了した。
書名には、芸の世界でくり返される創作と終焉、始まりと別れのサイクルが込められている。つまり永劫回帰。だがそれは同時に、凡夫が度重なる困難に打ちのめされても、何度でも立ち上がっていく過程そのものでもある。芸人として、息子として、ひとりの人間として。川西は自分がそのすべてであることを、けっして声高にではなく、だが明瞭に伝えて、漫才師としての「終点」を自ら定める。なんと超然とした男がいたものか。
※週刊ポスト2025年6月20日号