小林ひとみ
昨今、インフルエンサーや作家として活躍する例もあり、男女問わず認知が広がっている「セクシー女優」。そんな言葉さえなかった1980年代、草分け的存在として登場した伝説の女優が小林ひとみ(62)だ。1986年発売のデビュー作『禁じられた関係』は、当時一本約1万円相当だったが累計販売本数は約5万本という絶大な人気を誇った。
活動期間わずか2年で引退したが、結婚、出産を経て復活。2003年にヌードを“完全引退”した後は、クラブ『銀座りぼん』の雇われママをしている。2児を養いながら活動も続けた激動の当時、何を感じていたのか。本人が人生を振り返った。【前後編の前編】
撮影3日目で…
小林さんはもともと都内の下町生まれで、実家には代々継いできた家業があった。実母は小林さんが幼少期に離婚したため「おばあちゃん子」だったが、恵まれた環境で育ったという。
「勉強嫌いだったし会社に勤める気もなくて、唯一強くなりたかったのが役者でした。けれどもなかなか芽が出ず、写真集やイメージビデオに出て、初めてヌードになったんです。その写真集が売れたので、次は『映画に出ないか』といって来た話が、のちに『AV』と言われる『禁じられた関係』でした」
AVという言葉が業界に浸透していなかった当時、“イメージビデオだから”“映画だから”という依頼で、実際には撮影するというケースは確かに存在したという。そういった事例を防ぐためにできた法律が2022年に成立した「AV新法」でもある。
だが小林さん自身は「強要されて出演したわけではない」という。
「撮影は3日間ほどかけて行い、事前に軽い濡れ場があるとも聞いていたし10ページくらいの台本もありましたけど、詳しい内容までは書かれてませんでした。
2日目くらいまでは着衣の芝居シーンの撮影で、3日目に監督から『全裸になって本番をする』と言われ、話が違うと猛反対したんです。現場にいなかったメーカーの社長も呼び出し、4時間ほど話し合いました。そこで『ヌードになって擬似行為はするが、本番はしない』ということで決着をつけました」
すでに芸名はあったが、ここからは新しい活動ということで「小林ひとみ」に改名。デビュー時の契約本数は2本ということで、次に出たのが『色情 小林ひとみ』だった。
それ以降、そのまま女優業を続けたのはなぜなのか。
