大阪・関西万博の大屋根リングは、「最大の木造建築物」として、2025年3月4日にギネス世界記録に認定されている
大阪・関西万博が開幕してはや2か月。その万博会場が位置している大阪市・夢洲は埋立地であり、使われたのは生活ゴミと下水処理場から出た汚泥を脱水した「脱水汚泥」、つまり人間の糞尿だ。
高度経済成長で急増したゴミの処分先を大阪湾とすることで、「夢洲」や隣接する「舞洲」が誕生したのだが、その代償として、現在“地盤の緩さ”と“湧き出るメタンガス”が問題視されている。
ジャーナリスト・山口亮子氏の著書『ウンコノミクス』(インターナショナル新書)より、これまで大阪が“し尿=人間の糞尿”の処理について、文字通り“臭いものに蓋”をしてきた歴史を振り返る。(同書より一部抜粋して再構成)【全3回の第2回。第1回から読む】
* * *
島の原料の一つが、大阪市民のウンコ。それは、わずか半世紀の間に、有価物から廃棄物に凋落した。その歩みを駆け足で振り返ってみる。
ぼっとん便所に由来する「し尿」、要は(人間の)糞尿は、もともと農業で肥料として使われていた。近代化以降も利用が続いたものの、1930年代に入ると、農村部で需要が減ってくる。汲み取り業者の中にはし尿をさばききれず、河川にぶちまける者が出てきた。1949年後ろには化学肥料が普及し、農業での需要がますます減っていった。
処理に窮した大阪市は1952年、大阪湾でなんと、海洋投棄を始める。船に積んだし尿を蛇行運転しながら放流した。魚が大腸菌で汚染されるとして、漁業関係者から反対されたものの、1962年まで続けた。これは大阪に限ったことではない。東京湾も含め、各地で長年行われていた。
戦後、ぼっとん便所が減り、水洗トイレが普及していく。それに連れて、し尿よりも、下水処理場から出る下水汚泥の処分の方が重要になっていく。下水汚泥を脱水した「脱水汚泥」は、もともと市民の生活ゴミと一緒に内陸部に埋め立てていた。ところが、高度経済成長に伴う大量生産と大量消費がゴミ処理の破綻をもたらす。
1961年ごろから、大阪市内のゴミの排出量が急増していく。ピークの1971年、その埋め立て量は73万トンで、1955年の3倍に達した。市は、もはや内陸部に埋め立て地を確保できないとして、1970年代に、大阪湾を埋め立ての処分先に決める。こうして今の夢洲や、隣接する舞洲が生まれた。
昔は脱水しただけで汚泥を直接埋め立てた。このことがいまだにメタンガスが湧く原因かもしれない。ただし、今は汚泥を燃やして埋めている。
夢洲は、経済成長が生んだあだ花だ。名前は明るい未来を連想させる。けれども、資源の循環を度外視して味噌も糞も一緒に埋め立てた結果、地盤の緩い「負の遺産」になってしまった。
本来価値のあるウンコ由来の汚泥を埋め立て、ガスの発生に振り回される。そんな大阪で起きている茶番を、私たちは笑うことができない。東京湾にも、夢洲のような埋め立てでできた島がいくつもある。