アメリカの「正しい教育」

 さて、本題に戻ろう。意外かもしれないが、いま述べたような話は一九一九年以降の日本人にとってはかなり常識になっていた。これ以前にも、たとえばアメリカに渡ったものの現地で騙され奴隷のように扱われた高橋是清などアメリカの裏事情を熟知していた人間はいたし、なによりも日本が提案した人種差別撤廃案を強引に葬り去ったアメリカへの反感から、新聞や雑誌の報道あるいは口コミで「英米の人種差別」という「悪行」は広く知れ渡ったと考えていいだろう。

 あらためてジョン・チヴィントンがやった虐殺について考えてみよう。じつはこのとき、シャイアン族の代表は白人の風習に従って白旗を掲げていたという。話し合いをしようとしたのだ。にもかかわらず、チヴィントンは問答無用とばかりに、その場にいたシャイアン族を皆殺しにした。そのことは決して秘密にされたわけでは無い。なぜなら、ヒトでは無い「害獣を駆除」するのは隠す必要の無い「正義」だからだ。

 彼は敬虔なキリスト教の信者であり、恐ろしいことだが信念を持って虐殺を実行していたのである。しかし、すべての人間は平等であるべきだと考える日本人は、これをどのように見たか? 前回の最後でも述べたとおり、まさに「鬼畜の所業」だろう。

 パリ講和会議から二十二年後の一九四一年(昭和16)に、日本は大東亜戦争を始めた。その戦いの最中にスローガンとして叫ばれたのが、この「鬼畜米英」であった。アメリカだけに特化した「米鬼」という表現もあったが、現在の日本人はこれが誇張された事実とは異なるデタラメだと思い込んでいる。この稿を書いているのは二〇二五年(令和7)六月上旬だが、その時点で「鬼畜米英」というキーワードをネット検索にかけてみると、「NHKアーカイブ」のサイトに次のようなコメントがあった。

〈死んだ米兵に石を投げる兄妹
昭和19年10月10日の10・10空襲から5日ほど後、海岸の堤防のそばに、墜落した米軍機の乗組員とみられる遺体が流れ着いていた。空襲で家を焼かれた当時9歳の大湾さんと6歳の妹は、米兵の遺体に石を投げた。大湾さん『当時学校では「鬼畜米英」と教わり、憎しみが募っていた。時代は変わり、私に石を運んでくれた妹は今、アメリカ人と結婚して幸せに暮らしている。正しい教育を受けられる、戦争のない世の中が続いてほしい』〉

「当時9歳」の、大湾喜三さんの番組でのコメントだ。まず申し上げておきたいのは、妹さんが「アメリカ人と結婚して幸せに暮らしている」のは大変結構なことだし、「戦争のない世の中が続いてほしい」にもまったく異論は無い。ただ、「正しい教育」という言葉には問題がある。決して難癖をつけるわけでは無いが、多くの日本人にこの点で誤解があるようなので、あえて申し上げたい。

 ここは「正しい」では無く、「正確な(歴史)教育」と言うべきだ。同じことではないか、と思う人もいるかもしれないが、まったく違う。たとえば「サンドクリークの虐殺」において「インディアン」を何人も殺した兵士が元聖職者であるチヴィントンのところにやってきて、「人を殺してしまいました」と懺悔したとする。チヴィントンはなんと答えるか? おわかりだろう。「心配するな、オマエが殺したのは人間では無い、ケダモノだ。神もお喜びだろう」である。

 私の言うことが誇張では無いことは、チヴィントンの伝記を紐解けば誰でもわかることだ。つまり、これが彼にとっての「正しい教育」なのである。だからこそアメリカは、日本でキリスト教徒の割合がきわめて高い長崎にも原爆を落とし、瞬時に七万人以上もの人間を虐殺することができた。そのほとんどが非戦闘員、つまり一般民衆であったにもかかわらず、である。

 しかも、アメリカは終戦後十数年たっても「西部劇」で「インディアン=野蛮人」というキャンペーンをやっていた。もちろん「あの戦争」を大東亜戦争で無く「太平洋戦争」と呼ばせたのも、アメリカの「正しい教育」の一環である。

(第1459回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2025年7月11日号

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