薬丸岳氏が新作について語る(撮影/国府田利光)
トー横にグリ下、ビブ横にドン横、警固界隈等々、それぞれに傷や事情を抱え、孤独に苛まれた人々が集うもうひとつの拠り所として、薬丸岳氏の作家生活20周年記念作『こうふくろう』は、池袋東口再開発で整備された〈中池袋公園〉を描く。
2020年5月。新型コロナウイルスの蔓延による緊急事態宣言で外出を制限され、母や継父が住む明石の実家にも帰れずにいる大学2年生〈芹沢涼風〉の場合、その公園に集う若者の姿をたまたまテレビで見かけ、人恋しさから足を向けたのが最初だった。〈ひとりでいることがこんなにも息苦しいとは今まで感じたことがなかった〉〈すべてコロナのせいだ〉〈いや、果たしてそうだろうか〉〈コロナが孤独を浮き彫りにしただけで、自分はもともとひとりぼっちなのではないか〉……。
再婚後にできた弟ばかり溺愛する母や、女性関係や金銭にルーズな実父〈新見〉にただでさえ失望させられてきた彼女に、やはり地方出身で1人暮らしの大学生〈西島翔〉は言った。〈ここにいる束の間は、幸福な気持ちでいられる〉〈血のつながりや戸籍の関係だけが家族じゃないっていう気にさせられるんだ〉〈肉親よりもはるかに自分を幸福にしてくれる存在こそが本物の家族なんじゃないかって〉
こうして公園内の〈ふくろう像〉を撫でると幸せになれるという噂が噂を呼び、居場所を失った人々が本物の家族として支え合う組織、こうふくろうが誕生する。
コロナ禍を作中に描くか否か──。それは一時期、多くの作家が頭を悩ませる懸案事項だった。
「マスクはして当然で、喫茶店で人と話すなど論外。しかも他県に移動すらできない自由度の低さを前提に、面白いエンタメが書けるのかという問題ですよね。僕も20年当時の作品では設定をあえてズラしたりもした。その分、コロナだから成立する物語をいつかは書いてみたかったんです。
それと同時に気になっていたのが、トー横やグリ下に集う若者の存在で、彼らは一体何を求めてそこにいるのかという関心から、電話に出ない娘を地方から出て来て探すダメな父親のイメージが漠然と浮かんだ。そのイメージと担当編集者の『宗教の話を』という要望がうまく繋がったんです。これは教団の話ではないけれど、人間関係が制限される中で、閉鎖性が禍々しさすら帯びていく危うさも描けるんじゃないかって」
本作では2021年4月に雑居ビルの屋上から若い女性が飛び降り、〈たぶんレイナさんだろうと……〉と仲間に聞いたある人物が絶句する序章以降、奇数章では2020年、偶数章では2021年と、2つの時間帯が交互に進んでゆく。