三田紀房氏の半生記
仕上げるまでに1か月から2か月くらいかかったでしょうか。いい作品を描くというより、賞に入っていくらかでも現金がほしいという気持ちで描きました。100万円は大賞1作だけですが、他に入選や佳作などにも賞金が設定されていました。
火事場の馬鹿力という言葉がありますが、いざ描きはじめると、意外にもそれらしいものが出来上がりました。
とはいえ、なにぶん僕には漫画の知識がない。作品として成立しているのかすら怪しい。そこで思い出したのが、村上もとかさんでした。
まったく脈がなければあきらめようと思い、村上もとかさんに見ていただきました。すると案外あっさりと「いいね」と言ってもらえたんです。
あの時の心境は、借金地獄から目をそらしたいという気持ちも強くありました。ほんのひとときでも逃避できるものなら何でもよかったのかもしれない。それが、たまたま、漫画だったのでしょう。苦しいだけの商売とは違う、自分だけの世界を求めていた。そこに逃げ込みたかった。そんな気持ちが、漫画制作に僕の気持ちと能力を集中させたのかもしれません。
当時を振り返って思うことがあります。それは、苦しいときは逃げればいいということです。避難する場所をとにかく作る。それができれば、苦しい状況にもなにか活路が見いだせる場合もあると思うのです。「逃げずに立ち向かえ」などと無責任に言うことは僕にはできません。
応募してしばらくすると、「ビッグコミック」編集部から電話がかかってきました。なんと「今、最終選考の最中で、あなたの作品も残っている。結果が出たらまた連絡する」というのです。
初めて描いた漫画です。自分なりに頑張って描きましたが、さすがに最初からそう簡単にはいかないだろうと思っていましたから驚きました。結局、入選しませんでしたが、「今回は残念ながら賞には選ばれませんでしたが、ぜひまた応募してください」と、丁寧な連絡が来たことも大きな励みになりました。
早速、2作目に取りかかったのですが、「ビッグコミック」の次回募集までにはかなり時間がある。それまで待つのもじれったい。
他の雑誌も新人賞を募集していないか調べてみると、意外に多くの雑誌が同じような賞を主催していることがわかりました。そこで、今度は描き上げた作品を講談社の「コミックモーニング」(現在の誌名は「モーニング」)編集部が主催していた「ちばてつや賞」に応募しました。