しかし彼らにもプライドがあり、民族の誇りがある。カネで雇った傭兵であるがゆえに信頼できない。いつイギリスに反抗するかもしれない。実際に「セポイの反乱」(1857年)というのはそういうものだった。セポイとはイギリスに雇われたインド人傭兵のことである、当然、武器を持っている。彼らはイギリスのインド統治、同じインド人に対するイギリス人の残虐な仕打ちを見て反乱を起こした。これは植民地インドのイギリスに対する最初の独立戦争だと現在は評価されている。
一九四三年(昭和18)、大日本帝国首相東條英機の呼びかけに対して東京に集まった東南アジア各国の首脳は、当然日本が軍隊内で「朝鮮人」を差別していないことを知っていた。決して日本が秘匿していたことでは無いし、公開された情報であるからだ。いや、首脳だけで無く当然植民地の人々も、少なくともインテリならば当然このことを知っていただろう。では、支持すべきはどちらか? 大英帝国イギリスか? 大日本帝国か? と言えば、少なくとも人種差別撤廃に重きを置くならば、日本を支持しようということになるではないか。
そこで、次の文章をお読みいただきたい。大東亜戦争初期、東進し太平洋でアメリカと戦った海軍とほぼ同時に、陸軍は西進しイギリス領シンガポール、アメリカ領フィリピン、フランス領インドシナ等を次々と攻略し占領したとき、解放された植民地の人々はなんと言ったか?
〈(フィリピンでは。引用者註)戦前の政府閣僚ホセ・ラウエル、ホルヘ・バルガスらも、日本の勝利を「アングロサクソン帝国主義」に立ち向かう「全アジア民族の威信を立証するもの」として歓呼して迎えた。(中略)中国の周仏海、繆斌、ビルマのバー・モー、アウン・サン、東インドのスカルノ、日本と協力したアジア人のなかでもとくに際立っていたボース、これらの人びとは、日本との緊密な協力によってはじめて「アジア民族を解放」し、「自由で、幸福で、繁栄した大東亜」(ボースの言葉)を建設することができると主張した。〉
この文章の出典をあきらかにする前に、文中に登場する重要人物について紹介しておこう。ただ、ホセ・ラウエル、ホルヘ・バルガスについてはいずれフィリピン独立史で、周仏海、繆斌については日中関係史でいずれも取り上げることになると思うので、ここではバー・モー、アウン・サンそしてスカルノ、ボースについて簡単に紹介しよう。いずれも大物である。
〈バー‐モー【Ba Maw】
[1893~1977]ビルマの政治家。1937年、インドから分離後の初代首相となる。43年、対日協力政権の主席となり、第二次大戦後、日本に亡命。帰国後、野党マハーバマ党を結成し、政界に復帰。著『ビルマの夜明け』。
アウン‐サン【Aung San】
[1915~1947]ビルマ(ミャンマー)の独立運動指導者。第二次大戦中、独立のため日本軍に協力、のち抗日運動を指導。戦後は英国からの独立達成に尽力したが、暗殺された。オン=サン。
スカルノ【Akhmed Sukarno】
[1901~1970]インドネシアの政治家。1928年インドネシア国民党を結成して独立運動を推進。第二次大戦後、独立を宣言して対オランダ武力闘争を指導、1949年共和国初代大統領に就任。民族主義・宗教・共産主義を一体とするナサコム体制を提唱、1963年には終身大統領となったが、反共勢力の台頭で1967年に解任された。
ボース【Subhash Chandra Bose】
[1897~1945]インドの民族主義者。国民会議派の指導者の一人。第二次大戦開始とともに、ドイツ・日本などとの協力による反英・独立闘争を企図し、インド国民軍を組織して日本軍に協力したが失敗。飛行機事故で死亡。チャンドラ=ボース〉
(以上、4項目とも『デジタル大辞泉』小学館)
ちなみに二〇二五年現在、ミャンマーで軍事政権の弾圧に屈せず民主化運動を率いているアウン・サン・スー・チー女史はアウン・サンの長女であり、日本のテレビ番組によく登場するデヴィ夫人は本名デヴィ・スカルノで、スカルノ元大統領の第三夫人だった。インドネシアはイスラム教国だから、第四夫人まで持つことができたのである。
さて、ここで先の文章の出典をあきらかにしよう。この文章は誰が書いたのか?
左翼歴史学者やその影響を受けた人々からは、右翼の超国家主義者が大日本帝国の行動を美化するために書いたに違いない、などと決めつけられそうだが、そうでは無い。これは、クリストファー・ソーンというイギリス海軍での勤務経験もある歴史家の『太平洋戦争とは何だったのか』(草思社刊)という著書からの抜き書きだ。
そして彼の主張の根幹は、この戦争はアメリカ側が盛んに宣伝した「ファシズム対民主主義」の闘争では無く、人種差別撤廃戦争であった、というものなのである。
(第1462回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年8月8日号