亡くなった椋本さんは語学単能な女性だった
友人が語った椋本さんの人となり
「さっきちょうど舞子さんの葬儀を終えたところなんです。お母さんがお世話していた飼い猫のルルが心配で、みんなで探しにきました。昨日は見かけたんですが、今日はいなくて。山の茂みのほうに行ってしまったかもしれない。
葬儀にはお母さんはもちろん出席していました。お父さんは数年前に亡くなっています。あの一家は本当にみんな仲の良い家族でした。舞子さんは特にお姉ちゃんと仲が良くて……」
椋本さんは明るい人柄で、友人も多かったようだ。
「舞子さんとは飲み友達でした。街中のバーとか、宅飲みとかでみんなでよく集まっていました。カラオケに行くと、マイクを離さないでみんなを盛り上げるタイプで、椎名林檎とかよく歌っていたのを覚えています。中国での仕事は楽しいとよく言っていましたよ。生徒さんともカラオケに行くこともあったそうです」
椋本さんは、中国江西省景徳鎮市の「景徳鎮陶瓷(陶芸)大学」に勤める日本語講師。帰省中に突然、事件に巻き込まれ、友人らも驚きを隠せないようだった。取材に居合わせた別の知人もこのように語った。
「彼女とは10年来の友人です。みんな(椋本さんのことを)大好きでした……。明るくて、誰からも好かれて。言うことは、はっきりちゃんと言う強い女性でした。
お母さんとも会いましたけど、とてもショックを受けていて、話ができる状態じゃない。突然のことで、まだ全然気持ちが落ち着いていないみたいです」
凄惨な事件が起きたこの自宅から、距離にしてわずか50メートル。瓦屋根の平屋にカン容疑者は住んでいた。
寮の横には、自転車が8台停められているが人気はない。記者が自転車を確認するとカン容疑者の勤務先である工場の名前が印刷されたシールが貼られ、それぞれベトナム人風の名前も書かれている。その中には「カン」と名前がある自転車も確認できた。
この勤務先の同僚が、カン容疑者の人となりについて明かした。