●山王神社の一本柱鳥居(長崎県長崎市)
旧浦上街道沿いに佇む山王神社は、原爆投下の爆心地から約800mに位置する。参道には当時、4基の鳥居があったが、原爆の爆風によって2基が倒壊。二の鳥居は半分が吹き飛ばされたものの一本柱の状態で残り、原爆の悲惨さを今に伝える。
山王神社の一本柱鳥居(長崎県長崎市)
●硫黄島のトーチカ(東京都小笠原村)
1945(昭和20)年2月19日~3月26日、硫黄島では日米軍が死闘を繰り広げ、併せて2万9000人近くが戦死した。日本軍の拠点だった摺鉢山(写真奥)は2月23日、米軍に制圧された。現在、自衛隊が管理する島にはトーチカ(写真)や砲台跡などが残存する。
硫黄島のトーチカ(東京都小笠原村)
●母島の四十五口径十年式十二糎高角砲(東京都小笠原村)
母島には太平洋戦争開戦とともに砲台が築かれ、陸海軍が駐屯した。今も海軍の四十五口径十年式十二糎高角砲や弾薬庫などの遺構が点在する。1944(昭和19)年に島民は内地に強制疎開させられ、島は戦後、米軍統治下に。日本に返還されたのは1968(昭和43)年だった。
母島の四十五口径十年式十二糎高角砲(東京都小笠原村)
●旭浜のトーチカ群(北海道大樹町)
トーチカとは敵の攻撃から身を守ることを目的にした、コンクリート製の防御用陣地のこと。大樹町では、米軍の北海道上陸に備えて昭和19(1944)年に造られたものが24基発見され、うち10基が旭浜海岸と付近に点在する。これらは一度も使われることなく終戦を迎えた。
旭浜のトーチカ群(北海道大樹町)