「免許返納」密着取材の際の釜本さん
子供の頃から読んでいた『三国志』
そうして常にサムライブルーに“辛口エール”を送ってきた釜本さん。国際Aマッチ75得点のレジェンドの言葉は重いが、自身が“点取り虫”になった経緯はこう話していた。
「育ったのが京都の太秦(右京区)で、近くに東映の撮影所(現在の太秦映画村)があった関係で、時代劇に興味があったし、子供の頃から読む本も時代小説が多かった。もちろん大人が読むような難しいものではなく、漫画のようなものですが、読んだ本で記憶にあるのは『三国志』。子供向けの作品(三国志物語、著・野村愛正)でした。子供心に感じたのは“勝負は勝たないといけない”ということ。
京都では京都師範(現京都教育大)のOBたちが小学校でサッカーを教えていた。太秦小でも指導しており、サッカーが盛んだった。私は学校対抗で1試合に4点取ったこともあった。先生から“サッカーをやれば五輪もあるし、世界中に行ける。野球は日本と米国だけだ”と言われ、中学校でサッカー部に入部することにした。
そうやってサッカーを始めたわけだが、フォワードで“点取り虫”になったのも、三国志の影響があるのかもしれない。まずはチーム内の勝負に勝ってレギュラーにならないといけないし、主役というのは花道を歩かないといけない。サッカーをやっているうちに無意識でそういうところに向かった可能性はある。
三国志は大人になってからも読み返しましたが、諸葛孔明の戦略と戦術がサッカーをやるうえで参考になった部分もあるかもしれない。サッカーでも情報と分析は重要ですからね。三つ子の魂百までとはよくいったもので、性格だけでなく知識も頭のどこかに残っているような気がしますね」
不世出のストライカーはそう自身の原点を振り返っていた。
◆取材・文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)